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コラム

更新2020.08.24

最高速300キロは真実か?ランボルギーニ カウンタックこそキング・オブ・スーパーカー

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松村 透

いまも昔も、スーパーカーといえば『ランボルギーニ カウンタック』の存在は欠かすことはできません。デビューから20年、スーパーカーの頂点に君臨したランボルギーニ カウンタック。今回は、最新のランボルギーニと比較しても遜色ない魅力に溢れたこのモデルにスポットを当ててみたいと思います。

スーパーカー少年の夢と憧れ「ランボルギーニ カウンタック」




1970年代半ば、日本は漫画「サーキットの狼」に端を発する空前のスーパーカーブームでした。少年達はカメラ片手に、ショールーム、日本各地で開催されていたスーパーカーショー、そして街へと繰り出し、憧れのスーパーカーを追いかける光景があちこちで見られました。子供達のあいだでももっとも人気があったのが「ランボルギーニ カウンタック」でした。通常のクルマとは一線を画すワイド&ローなフォルム、ドアが前方に跳ね上がる「スイングアップドア(一般的にはガルウィングの方が浸透)」は、多くのスーパーカー少年の心を鷲掴みにしました。当時は熱狂的なファンが、スーパーカーを見掛けるとカメラ片手に夢中で通りに飛び出し、あわや…という光景も珍しくなったのです。

そのカウンタックは、1971年3月に開催されたスイス・ジュネーブショーにて5リッターV12エンジンを積んだ、プロトタイプモデルの「LP500」が発表されます。デザインを手掛けたのは、若くしてベルトーネ社のチーフスタイリストを務めた、マルチェロ・ガンディー二。後のディアブロも彼の作品なのです。同時に発表されたランボルギーニ ミウラの最終バージョンであるSVとともに、ランボルギーニブースを華やかに彩ったのです。
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ランボルギーニ カウンタックのモデル変遷


市販型のカウンタックである「LP400」は、1974年3月に開催されたジュネーブショーにおいて発表されました。ミウラに積まれていた4リッターV12エンジンが流用されたために、車名も変更されることとなりました。後のモデルに装着されるウィングやエアロパーツを纏っていないLP400は、150台が生産されました。その後、LP400をベースに生産されたワンオフモデルである「ウォルター ウルフ カウンタック」を基に、極太のタイヤとそれを収めるオーバーフェンダー、リヤウィングを装着したLP400Sへと進化を遂げました。



その後、LP500S、5000QV(クワトロバルボーレ)、25thアニバーサリーへと進化を遂げていきます。それに伴い、車重や排気量、最高出力などがアップしていき、最終進化版となった25thアニバーサリーでは、車重はLP400に比べて700キロ近く重くなり、排気量が1.2Lアップし、最高出力は80psほど増強されています(排気量および最高出力は、5000QVと25thアニバーサリーのカタログ上の数値は同一)。

歴代ランボルギーニ カウンタックの生産台数は約2000台


ランボルギーニ カウンタック歴代の生産台数は約2000台といわれています。その内訳は、LP400が150台、LP400Sが237台、LP500Sが323台、5000QVが632台、25thアニバーサリーが675台と、いずれも限定車並みの生産台数です。さらに、ウォルター ウルフ カウンタックやLP500Rなどのスペシャルモデルが存在します。また日本にも、別な意味でレアな英国仕様の右ハンドルモデルが輸入されています。

そして1990年7月4日、シルバーメタリックにペイントされた25thアニバーサリーがラインオフされた瞬間、ランボルギーニ カウンタックの歴史に幕が降ろされました。このラスト・カウンタックは、デザインを手掛けたマルチェロ・ガンディー二に贈られる予定でしたが、本人がこれを拒否したため、ムゼオ・ランボルギーニに収蔵されたという逸話が残っています。

ちなみに、いわゆるディーラー車(当時のシーサイドモーター)におけるランボルギーニ カウンタックLP400の車両本体価格は1750万円、フェラーリ365/4BBが1890万円。参考までに、ポルシェ911カレラRS2.7が1973年当時で750万円、マセラティ ボーラが1976年当時で1350万円、ロータス ヨーロッパが1972年当時で315万円でした。当時、シーサイドモーターLP400の契約書にサインするオーナーは、興奮で手が震えていたのでしょうか…。
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ランボルギーニ カウンタック」の凄さとは?


車名の「カウンタック」は、ランボルギーニ社の本拠地である、イタリア・ピエモンテ地方で驚きを示す感嘆符であり、プロトタイプを見て驚いたスタッフが叫んだ言葉がそのまま車名になったものといわれています。また、カウンタックのアイデンティティのひとつである「スイングアップドア」は、苦肉の策の末に誕生したものといわれています。ボディ構造とミッドシップに巨大なV12エンジンを積むことで、一般的な横開きのドアを採用することができずに誕生したスイングアップドアのアイデンティティーは、現行モデルのアヴェンタドールに至るまで受け継がれています。



また「最高速300km/h」という触れ込みであったカウンタックですが、これはあくまで「メーカー公称値」であり、実際にはこの速度に届かないという説が有力です。しかし、高い剛性を誇るフレーム構造は、整備性や生産性などが犠牲にしつつも。現代の基準においても遜色ないといわれています。

ランボルギーニ カウンタックのレプリカ


ランボルギーニ カウンタックはいつの時代も高嶺の花(それも、ますます遠い存在に…)。そこでレプリカというモデルが存在します。AMC500など、ポンティアック フィエロベースのモデルをはじめ、ミラージュ社製のレプリカなどが存在します。日本で売られていたランボルギーニ カウンタックのレプリカの車両本体価格は600万円くらいから。本物の新車価格の半分以下で購入することができたわけです。レプリカでも600万円スタートですから、もう少し(かなり)頑張って本物のランボルギーニ カウンタックを…という手に入れたくなるのが本音かもしれません。
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ランボルギーニ カウンタックの現在と未来


1974年に生産が開始されたカウンタックは、幾多のモデルチェンジを繰り返しながら1989年まで続けられました。この間に生産された台数は2000台前後とされており、その希少性と人気の高さから数多くの個体が現存しています。歴代のカウンタックはもちろん、スペシャルモデルであるウルフ・カウンタック1号車とLP500Rは日本国内に現存しています。また、次期カウンタックとして試作されたL150もバブル期に日本に上陸。現在もこの地に生息しています。

歴代のカウンタックが日本に現存していることはもちろん、スペシャルモデルまでもが生息していることからも、いかに日本人がカウンタックを溺愛しているかが伺えます。しかし、いまのオーナーたちもいずれはカウンタックを降りるときが訪れます。しかし、オーナーの世代が代わっても、海外に流出することなく、永遠に日本の地に留まってくれることを切に願うばかりです。

[ライター/江上透]

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