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コラム

更新2019.05.08

武骨なのにかわいい。歴史をたどると旧共産圏のクルマも実に面白い

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鈴木 修一郎

かつて東西冷戦真っ只中だった1990年以前、欧州で「西側」と「東側」を隔てていた「鉄のカーテン」と呼ばれた国家の境界線の向こうには、「西側」と呼ばれた資本主義経済圏の属する西欧とは違った共産主義圏独特のクルマ文化が存在しました。戦後しばらくは西側も東側も自動車開発ではほぼ互角で、1960年代初頭までは国際モータースポーツでも西側と東側の車両が競い合っていた時代もあったようです。

「共産主義の象徴」から「東西ドイツ統一の象徴」になったクルマ


日本でも2輪レースのオールドファンであれば、鈴鹿サーキットのデグナーカーブの由来になった旧東ドイツの2輪レーサー「エルンスト・デグナー」の名をご記憶の方もおられるのではないでしょうか?デグナーはMZ製2ストローク125cc・250ccのマシンで活躍しますが1961年ベルリンの壁ができると西側に亡命します。その後、MZのマシンでの出場は不可能となりますが、その後日本のスズキと契約し50ccクラスでタイトルを獲得します。

2ストロークといえば、排気管の途中でパイプを膨張させ、出口付近で再び収縮させる独特の構造の排気系統の「チャンバー」が有名ですが、これはMZの技術者「ウォルター・カーデン」が発案したシステムで、デグナーが亡命時に西側にこの技術をもたらしたことで、西側においても「チャンバー」による2ストロークエンジンのパワーアップを促したという歴史的経緯があるそうです。この通りある時期までは、西側も東側も自動車の技術競争ではいい勝負だった時代があったのです。


▲MZ ES 250-1 その源流はDKW(アウトウニオン)で実はアウディと生き別れの兄弟という事になります

日本でも知名度の高い旧共産圏のクルマというと、以前スバル360とVWは何故似ているかで触れたトラバントP601でしょう。



実はトラバントもまたアウトウニオンを源流とする、西側のアウディの生き別れ兄弟のような存在です。実はレイアウト自体は2ストロークエンジンで横置きFFを使用するという、多くの小型車がまだ等速ジョイントの技術的な問題からリアエンジンレイアウトを採用していた1960年代初頭では先進的なレイアウトで、600cc23馬力とまずますの性能でしたが、共産主義国の物資不足からボディは鋼板ではなく綿繊維を樹脂で固めたFRPで、綿繊維の調達も難しくなった末期モデルは、よく知られた紙パルプを繊維に混ぜたFRPと次第に品質が落ちていきます。

「市場での競合が無い」という計画経済では、市場原理による品質や性能の向上、それに伴うモデルチェンジを要さないため、1970年代に入ると各自動車メーカー同士の開発競争が激化していた西側に取り残されるかのように、既にトラバントは性能的にもデザイン的にも旧態依然としたものになり、所謂「紙のボディ」は物資に乏しい共産圏の象徴となります。そればかりか、市場の需要よりも計画経済の都合を優先する生産システムでは需要に合わせて増産体制を取ることもせず、オーダーから納車まで10年以上かかるというのが恒常化していたそうです。


▲とはいえ「パランパランパランパパパパパパーン」という2ストサウンドは筆者のような国産360cc軽自動車好きには国を超えて訴えかけてくる魅力があります



しかし1989年の「ベルリンの壁崩壊」により長らく壁で隔てられていた東ベルリンから西側に大量になだれ込んだトラバントは、一夜にして「共産主義の象徴」から「東西ドイツ統一の象徴」となります。

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アフトワズ・ラーダって何かに似てない?


東欧製の自動車が旧態化していくなか比較的近代的な設計で好評だったといわれているのがロシア(旧ソ連)のアフトワズ・ラーダです。





でも中にはラーダを見て目ざとく「他のメーカーで同じようなセダンを見た事がある」という方もおられるのではないでしょうか。



実はラーダはイタリアのフィアット124のライセンス生産車です。

ちなみにフィアット124は他にもインド、スペイン、トルコ、韓国、エジプトでもライセンス生産された、今でいうグローバルカーのようなクルマといってもいいかもしれません。もっとも発売当初の1970年頃は先進的だったとはいってもそこは共産圏の常で、1980年代に入る頃には旧態依然とした存在になってしてしまいます。

ところでこのラーダ、今となっては日本人にとってもハコスカや510型ブルーバードといった往年の国産4ドアセダンを彷彿とさせる外見なのですが、この世界的に日本製クラシックカーの人気が高まる中、やはりそこに目ざとく気付いたロシア人もいるようで……





なんと、JDM仕様のラーダというのも存在します。昔の日本製ファミリーセダンを彷彿とさせるずんぐりした車体に丸目4灯ライトにメッキバンパーと、日本車風の十字スポークのホイールのツライチシャコタンやダミーのオイルクーラーにオーバーフェンダーは思いのほか似合います。日本のナンバープレートが付いていても全く違和感がありません。(?)

どうやらロシアでも「BOUSOUZOKU」と「SHAKOTAN」は通じるようです。(苦笑)

以前、ツイッターで日本でラーダの登録成功したというオーナーのツイートを見た事があり、トラバントと違ってラーダを日本で登録することは不可能では無いようです。

ソ連のクルマのなのにアメリカ車っぽいあのクルマ



▲こちらも同じく旧ソ連のGAZ社の大型高級車レンジを担った「チャイカ」です

でも、この外見「ソ連のクルマのなのにアメリカ車っぽい?」と思われる方もおられる事でしょう。実はGAZ社は1929年にフォードとソ連の合弁事業で始まった会社で当初はフォードA型をベースとした車両の現地生産をし、第二次大戦終結までほかにもシボレーのライセンス生産やウィリスジープを参考にした4輪駆動車を開発したりと、冷戦前はアメリカと密接な関係にあったメーカーで、戦後東西が鉄のカーテンで袂を分かちあいソ連側で独自技術で乗用車生産を始めてもアメリカ車を彷彿とさせるデザインでした。



その後、近代化のモデルチェンジもしますが実は、一部西側諸国にもチャイカは輸出されて西側諸国でも独自外交の道を歩んでいたフランスのフランソワ・ミッテラン元大統領の専用車として使用されたケースもあります。

ちなみに前述のラーダも実はフィアットのライセンス生産車ながらソ連国外への輸出もライセンスに含まれており、ラーダも安価な小型車として輸出され、ソ連の貴重な外貨獲得の手段になっていたといいます。

こういうところから、鉄のカーテンといわれた冷戦下において西側陣営と東側陣営が緊張状態にあったなかでもフランスやイタリア等一部の国は共産圏と独自路線で交流関係を持っていたという当時の外交事情がうかがい知れます。

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ソ連の高級車の最高峰は不思議な風貌


そしてこちらがソ連の高級車の最高峰、書記長レベルの高官しか乗る事の許される事がなかったであろうZIL-4104です。



アメリカ車、ドイツ車、日本車にどこか似てるようで違う不思議な風貌ではないでしょうか。外見は1970年代アメリカ車と日本のフルサイズ車を掛け合わせたような、インパネ周りは往年のメルセデスベンツを思わせる物があります。



ZIL社のリムジンはフェイスリフトされ4112Pというデザインはキープコンセプトのままメカニズムを刷新したモデルが販売されているようで、ヘッドライトは今どきのプロジェクター式、エンジンスタートはプッシュボタンでインパネには液晶モニターも装備され、旧共産圏時代の香りを残しつつ、モダナイズされているのが何処か味わい深い物さえ感じます。

チャイカやZILを日本で登録したという事例は把握していないのですが、もし、ZILやチャイカ等の旧ソ連・ロシア製の大型セダン・リムジンを日本で登録したという事例をご存知の方がいらしたらご一報いただけると幸いです。

日本でも購入可能なロシア車


先日、別の記事でラーダ・ニーヴァが日本でも購入可能と紹介しましたが、実はもう一台UAZ(ワズ)という旧ソ連時代からモデル無しで継続生産されているロシア車で日本で購入可能な車両が存在します。



販売店の紹介文によるとなんと1958年(!)からモデルチェンジ無しというロングライフモデル。極寒の地の極限の使用条件の中、シンプルでなにも壊れる要素が無い、壊れても修理が簡易というのが重宝されたようです。現在では排ガス対策で電子制御燃料噴射のDOHCエンジンが搭載されているというのが時代の流れを感じます。

岩本モータース ワズ・ジャポン事業部
http://www.uaz.jp/

東西冷戦終結後、東欧系自動車メーカーも西側メーカーと提携するなどで近代化するものの、日本には依然正規導入される事なく、日本人にはミステリアスな存在の東欧車ですが、スペックやプレミアムとはまた違った魅力を感じる物があります。

[ライター・カメラ/鈴木 修一郎]

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