
週刊中年フライデー
更新2016.07.29
やっぱり輸入車が活躍した?懐かしのWRCラリーマシンたち

山本 圭亮
ども!カレントライフのファンの皆様こんにちは!1週間のご無沙汰でした!今回の「週刊中年フライデー40号」はマニアの逸品「懐かしのWRCラリーマシンたち」です!今週も山本編集長と天然系バイト星野がお送りいたします!
ここは、某県の「週刊中年フライデー」編集部。「カクネン派」の編集長と「マキネン派」の星野くんのデコボココンビが編集会議中であります。ちょっと覗いて見ましょう!
山本「星野君!今回は『懐かしのWRCラリーマシンたち』だ!」
星野「編集長!やっぱり『ハルク・ホーガン』ですよね?」
山本「え~と?星野君!それは『WWF』だよね。」
星野「すみません~。やっぱり『リック・フレアー』ですよね?」
山本「・・・・・。それは、『NWA』!プロレス団体から頭を離してください!」
星野「うふ!編集長の方が好きなくせに!」
・・・・編集部の相変わらずの茶番劇はほっとき、説明しよう!
さあ!皆さん!今回は「懐かしのWRCラリーマシンたち」ですよ!日本車も活躍しましたが、やっぱり輸入車の活躍ですかね?とりあえず行ってみましょう!

「ラリーと言えばこの車を思い出すのでは?」
アルピーヌ A110 1800 / 主なドライバー ジャン=ピエール・ニコラス ジャン=リュック・テリエ
1973年に6勝と大活躍したWRCマシーンと言えば「アルピーヌ A110 1800」ですね。当時めったにメディアで情報が入って来なかった中で雑誌の中から飛び出して来たのは、アルピーヌの雄姿でした。WRCの初代チャンピオンとなりました。その勝因と言うと圧倒的な軽量の車重とRRの特性をいかしたトラクションです。73年のチャンピオン時には2位のフィアットに60ポイント以上の差をつけて圧勝でした。ライバルは「フィアット124ラリー」や「フォード・エスコートRS1600」等でした。いつまでもWRCラリーファンの記憶に残る1台ですね。

「アルピーヌと並びラリーの鬼と言えばこのクルマでした!」
ランチャ・ストラトス HF / 主なドライバー サンドロ・ムナーリ
1974年になるとWRCの勢力図が変わりました。前年圧勝した「アルピーヌ」は不調で何と1勝も出来ませんでした。そこで活躍したのがこの「ザ・ラリー・カー」と言われた「ランチャ・ストラトスHF」でした。なんせこの車は、ランチャがWRCに勝つために開発したクルマです。ホイールベースが現在の軽自動車より短く、コーナリングに優れ、漫画「サーキットの狼」では主人公の「風吹裕矢」のマシーンとしても使用されました。「ランチャ・ストラトス」は74年・75年・76年と三連覇することになりWRCを代表する1台となりました。

「4WDと言えばもちろんこのクルマでした!」
アウディ・クワトロ / 主なドライバー ハンヌ・ミッコラ ミシェル・ムートン
1980年代始めはドイツ旋風が吹き荒れました。その一角が「アウディ・クワトロ」です。当時「軽量化=ラリー車」と言う常識を覆した歴史的なラリーカーと言われました。それはクルマだけではなくドライバーの「ミシェル・ムートン」の活躍です。そうです。81年にWRC初の女性優勝者となりました。また、上記に紹介した2台に比べ市販車の匂いが残っていてよりファンに近いラリーカーとして人気があったのかも知れません。82年にチャンピオンになったその後「スポーツ・クワトロ」に発展し84年にも優勝し80年代前半のラリー界を牽引した1台となりました。

「個人的に大好きだったラリーカーは強くはなかったが皆に愛された!」
オペル・マンタ400 / 主なドライバー アリ・バタネン
1983年にアスコナの後継車としてオペルが投入したのが「オペル・マンタ400」でした。正直このラリーカーはWRCでは、3位に2回、4位に2回と言う平凡な成績です。しかしもこのラリーカーはワークスとして2年間しか参戦しませんでした。ところがこのクルマは何故かプライベーターに愛されたのです。活躍場所をニュルブルクリンク24時間レースに移しました。実はこのレースはWRCより歴史が古く1970年から開催されている歴史あるレースです。優勝ドライバーには「ニキ・ラウダ」や「ペドロ・ラミー」等のF1ドライバーも活躍しています。その中でこの「マンタ400」はなんと2010年まで参戦していたのです。そして、レギュレーションの変更で旧車が参加出来なくなった後も14年、15年、16年と特別枠で参加しています。ファンに愛されるラリーカーは現在でも現役なんです。凄いですね!
山本「どうだ星野君!ラリーも面白いだろ?」
星野「編集長!そうですね!やっぱり『元祖魔法使い』ですね!」
山本「星野君!?最近ボケが荒くなってると思うがそれは『サリー』だよね?」
星野「え?そうですか~。あっ!『サザンオールスターズ』の名曲ですね!」
山本「星野君、それは、いとしの『エリー』ですから~(泣)」
星野「まあまあ、そう興奮しないで!血圧よ血糖値が又あがりますよ!ではお腹が空いたのでランチに『カリー』でも食べに行きましょう!」
山本「ふ~。もうイヤ!(泣)」
と言うことで、今回の「懐かしのWRCラリーマシンたち」いかがでしたか?来週もマニアックなコラムをお届けできればと思っていますので次回の「週刊中年フライデー」をお楽しみに!金曜日にまたお会いしましょう~!
ここは、某県の「週刊中年フライデー」編集部。「カクネン派」の編集長と「マキネン派」の星野くんのデコボココンビが編集会議中であります。ちょっと覗いて見ましょう!






・・・・編集部の相変わらずの茶番劇はほっとき、説明しよう!
さあ!皆さん!今回は「懐かしのWRCラリーマシンたち」ですよ!日本車も活躍しましたが、やっぱり輸入車の活躍ですかね?とりあえず行ってみましょう!

「ラリーと言えばこの車を思い出すのでは?」
アルピーヌ A110 1800 / 主なドライバー ジャン=ピエール・ニコラス ジャン=リュック・テリエ
1973年に6勝と大活躍したWRCマシーンと言えば「アルピーヌ A110 1800」ですね。当時めったにメディアで情報が入って来なかった中で雑誌の中から飛び出して来たのは、アルピーヌの雄姿でした。WRCの初代チャンピオンとなりました。その勝因と言うと圧倒的な軽量の車重とRRの特性をいかしたトラクションです。73年のチャンピオン時には2位のフィアットに60ポイント以上の差をつけて圧勝でした。ライバルは「フィアット124ラリー」や「フォード・エスコートRS1600」等でした。いつまでもWRCラリーファンの記憶に残る1台ですね。

「アルピーヌと並びラリーの鬼と言えばこのクルマでした!」
ランチャ・ストラトス HF / 主なドライバー サンドロ・ムナーリ
1974年になるとWRCの勢力図が変わりました。前年圧勝した「アルピーヌ」は不調で何と1勝も出来ませんでした。そこで活躍したのがこの「ザ・ラリー・カー」と言われた「ランチャ・ストラトスHF」でした。なんせこの車は、ランチャがWRCに勝つために開発したクルマです。ホイールベースが現在の軽自動車より短く、コーナリングに優れ、漫画「サーキットの狼」では主人公の「風吹裕矢」のマシーンとしても使用されました。「ランチャ・ストラトス」は74年・75年・76年と三連覇することになりWRCを代表する1台となりました。

「4WDと言えばもちろんこのクルマでした!」
アウディ・クワトロ / 主なドライバー ハンヌ・ミッコラ ミシェル・ムートン
1980年代始めはドイツ旋風が吹き荒れました。その一角が「アウディ・クワトロ」です。当時「軽量化=ラリー車」と言う常識を覆した歴史的なラリーカーと言われました。それはクルマだけではなくドライバーの「ミシェル・ムートン」の活躍です。そうです。81年にWRC初の女性優勝者となりました。また、上記に紹介した2台に比べ市販車の匂いが残っていてよりファンに近いラリーカーとして人気があったのかも知れません。82年にチャンピオンになったその後「スポーツ・クワトロ」に発展し84年にも優勝し80年代前半のラリー界を牽引した1台となりました。

「個人的に大好きだったラリーカーは強くはなかったが皆に愛された!」
オペル・マンタ400 / 主なドライバー アリ・バタネン
1983年にアスコナの後継車としてオペルが投入したのが「オペル・マンタ400」でした。正直このラリーカーはWRCでは、3位に2回、4位に2回と言う平凡な成績です。しかしもこのラリーカーはワークスとして2年間しか参戦しませんでした。ところがこのクルマは何故かプライベーターに愛されたのです。活躍場所をニュルブルクリンク24時間レースに移しました。実はこのレースはWRCより歴史が古く1970年から開催されている歴史あるレースです。優勝ドライバーには「ニキ・ラウダ」や「ペドロ・ラミー」等のF1ドライバーも活躍しています。その中でこの「マンタ400」はなんと2010年まで参戦していたのです。そして、レギュレーションの変更で旧車が参加出来なくなった後も14年、15年、16年と特別枠で参加しています。ファンに愛されるラリーカーは現在でも現役なんです。凄いですね!







と言うことで、今回の「懐かしのWRCラリーマシンたち」いかがでしたか?来週もマニアックなコラムをお届けできればと思っていますので次回の「週刊中年フライデー」をお楽しみに!金曜日にまたお会いしましょう~!