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更新2018.04.25

フルオリジナルのヨンメリや歴史的価値のあるクルマが集結!ワールドクラシックカーフェスティバル in 常滑

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鈴木 修一郎

暑すぎず、寒すぎず、クラシックカーに丁度いい時期が今年もやってきました。そろそろ「冬眠」から目覚めるクルマも多いかと思います。

筆者も昨年11月から中断していたスバル360の自宅DIYレストアを再開しました。本当はスバル360・60周年に合わせて公道復帰とイベント参加をしたかったのですが、所有20周年の来年に間に合えばという感じです。

ワールドクラシックカーフェスティバル in 常滑




今回は、愛知県で新しく始まったクラシックカーイベント「ワールドクラシックカーフェスティバル in 常滑」についてレポートをお届けしようと思います。

このイベントは閉会時に公道でのクラシックカーパレードがあるのが特色で、主催の樋口さんは秋の「ナゴヤクラシックカーミーティング」も主催している方で、自分のイベントで「公道パレードを実施したい」というのは以前から聞いていたのですが、公道パレードがあるイベントをもう一つ企画してしまうあたり、樋口さんにとって公道パレードは悲願だったのでしょう。会場は中部新国際空港(セントレア)の近くにある常滑競艇場の駐車場、セントレアのインターから降りて常滑競艇場に向かうとさっそく強烈なマシンに遭遇。



フォードT型の後継モデルのフォードA型をベースにしたホットロッド。当時の大ベストセラーだったフォードT型や、A型は後にアメリカの若者たちにとって安価に手に入るカスタムベースとなったことから「ホットロッド」(一説には「焼けるように熱いコンロッド」が語源といわれています。)という文化が生まれます。

また、現在の車検制度は昭和26年から運用されているため、それ以前の車両は日本でもかなり大胆な改造が法的に可能と聞いたことがあります。

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今回は片岡常滑市長に大村愛知県知事まで開会の挨拶に




最近は、来賓に地元の有力者が来ることも珍しくありませんが、今回は片岡常滑市長に大村愛知県知事まで開会の挨拶に来られていました。やはり大村知事もクラシックカーは自動車産業の街である愛知県の文化と考えておられるようです。写真右端の主催の樋口さんはやはり緊張を隠せないようでした。

会場内に入って真っ先に目に入った昭和39年型プリンスグロリアスーパー6(S41D-1型)




このクルマは筆者にとって1960年代の国産車の中でお気に入りの一台です。昭和41年にプリンスは日産に吸収合併されるので、S41型グロリアでも昭和39年型は初期型の純プリンス車で、コーションプレートも金色の物が付いています。



横長メーターに、コラムシフトとメッキのホーンリングが当時の日本人のアメリカへの憧憬を感じさせます。



初期型のS41型グロリアといえば、知る人ぞ知る通称「殺人ミラー」。なぜこんな物騒なあだ名がついたかといえば、当時流行っていたショールを身に着けた女性が歩行中に、後ろから来たグロリアのフェンダーミラーの突起部分にショールが引っ掛かり引きずられて死亡するという事故があったことに由来し、その後プリンスは即突起の無い形状のミラーに仕様変更します。

この当時、急激に普及した自動車による死亡事故が世界中で問題視されたことで、設計上の問題に起因する事故はメーカー側にも責任があるという製造者責任の概念も生まれ、衝突安全基準やリコール制度の制定につながります。

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ホットロッド集団の1台フォードA型クーペ




こちらは、朝遭遇したホットロッド集団の1台フォードA型クーペ。これで、公道走れるの!?と思われるかもしれませんが、前述のとおりフェンダーやマフラーといった保安部品の装着が厳格化されたのは昭和26年、それ以前はバックミラーや方向指示器の装着すらも明文化されていなかったためこの状態でも車検が通ってしまうんだそうです。(方向指示器に関しては検査員から装着を推奨されるケースはあるようです)

ホットロッドの由来は「熱いロードスター」、OHVやSVエンジンの「熱いプッシュロッド」「熱いコンロッド」諸説ありますが、1930年代に当時ですでに型落ちとなったフォードT型を若者がジャンクヤードでタダ同然で手に入れ、エンジンをモディファイもしくは高出力型のエンジンに載せ替え、ボディをリペイントしたりしてカスタマイズしたことに始まります。

やがて若者たちは自慢のホットロッドを公道で直線加速を競うようになり、その時に基準になったのが電信柱4本、これが1/4マイルで約402.336m、いわゆるゼロヨンです。事態を重く見た当局は違法な公道レースの摘発に乗り出しますが、一方で戦後不要となった滑走路を競技コースとして転用し、クローズドのコースでレースをするように促し、1951年にはナショナルホットロッド協会(NHRA)が組織され、ドラッグレースとして正式な競技となります。ドラッグレースは戦後米軍によって日本にもたらされ前述のとおり「ゼロヨン」として定着し、1/4マイル加速は自動車の動力性能を測る基準値にまでなります。

ノーマルの1928年型フォードA型




こちらがノーマルの1928年型フォードA型。日本でようやく、自動車の国産化のメドが立つかどうかくらいの時期には、すでにアメリカではカーカスタマイズが若者の大衆文化として根付いていたあたり、当時のアメリカの工業力の先進性がうかがえます。


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会場内で異様なオーラを放っていた昭和48年型フェローマックス




1958年のスバル360から本格化した360cc規格の軽自動車の出力は、1960年代半ばまでスバル360を筆頭に20馬力前後で推移していたのですが、1967年、突如2輪車の技術を応用したホンダN360が31馬力という当時の軽自動車常識を打ち破るハイパワーで市場に参入し、瞬く間に軽自動車市場でハイパワー競争が始まりました。1970年代にはついに各メーカーが30馬力オーバーに突入し、スポーツグレードのハイエンドモデルになると36馬力を超えるリッター当たり100馬力に突入します。

なかでもフェローマックスのツインキャブモデルは360cc軽自動車最強の40馬力という、もはやオーバースペックともいえる備えですが、高出力化の代償として低回転域のトルクが犠牲になってしまい、タコメーターにはレブリミットのほかに3000rpm以下もアンダーレブの警告としてイエローゾーンとなっています。しかし排ガス対策やオイルショックで360cc軽自動車のハイパワー競争も終焉を迎え、各社パワーダウンを余儀なくされ、1972年にはフェローも40馬力モデルは37馬力、33馬力モデルは31馬力となり、軽自動車は排ガス規制や安全基準対応に追われ暗黒時代を迎えます。

このフェローは東海道五十三次をモチーフにしたアートカーで最初に見たときは、痛車や広告トラックのようなラッピングだと思っていたのですが…



なんと、間近で見るとすべて手描きと思われるペイントでした。通りで漂うオーラが違うわけです。

昭和50年型スカイライン2000GT-X




このスカイラインは、いわゆる4枚ドアのケンメリ「ヨンメリ」ですが、この時代のスカGといえばたいてい何かしら改造されているのが常で、ホイールも含めてすべてフルオリジナルで残っているスカイラインというのもなかなかお目にかかれないのです。オーナーの話によると新車当時から所有しているワンオーナー車!もちろん「三55」ナンバー(昔の三重ナンバー)も新車当時からの物です。



ある意味(?)、ヨンメリらしさを感じる日産マチックの3速AT仕様、昔はAT車というとロックアップ制御もなく、当時風の言い方でいう「トルコン(もしくはノークラ)車は走らん」というイメージがあるのですが、オーナーに聞くとMTと比べてパワーロスを感じることもなく、高速走行でも踏み込めば今でも力強い追い越し加速をするとのことで、ATに起因するトラブルとも無縁とのこと。さぞかし手が入ってるのかと思えば、とくにオーバーホールもレストアもしてない未再生車で塗装も新車時のまま、しかもオーナーの方は「まったく手もかからず普通に今でも乗ってますよ」というのですが…



よくよく話を聞くと、ATのギアレンジの警報ブザーの追加や、LED化で配線はすべて作り直し、フルトラ化にラジエターも強化しているなど補器類、電装系には一通り手が入っていてしかもそれがすべてオーナー自身のDIYメカニックよるものという話でした。やっぱりここでもクラシックカーオーナーの「何も手がかかりません」の言葉の裏には筆舌にしがたい努力がありました。もちろんこのエンジンは一発始動で始動直後からチョークを戻すタイミングを示すパイロットランプまで追加され、暖気後チョークを戻すと40年以上も前のクルマとは思えないほどの、低回転で静かでまったく振動の無いアイドリングをしていました。なかにはエンジンがかかってると知らず誤ってスターターを回してしまう人も居るほどだそうです。あらためて理想的な爆発間隔と言われる直列6気筒エンジンの凄さを見た気がします。

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昭和51年型トヨタセリカLB2000GTV




アンバー色のボジションランプ、サイドマーカーランプ、ドアミラーとUS仕様を意識してるのでしょうか。いわゆる「ビッグバンパーセリカ」です。1970年代半ばから強化された排ガス規制と北米の安全基準に対応させるため、1976年製造からセリカも排ガス浄化装置が追加され、北米仕様には5マイルバンパーが装備され国内仕様にもオプション装備として設定されます。

1970年代後半のクルマというとアクの強い、大味な5マイルバンパーは好みが分かれるところですが、あの鬱屈した1970年代後半のアメリカの空気を思わせる5マイルバンパーには熱心な愛好者もいると聞きます。

1970年型メルセデスベンツ280SEカブリオレ3.5




今回もありました。筆者のドリームマシーンの縦目メルセデス。シールドビームヘッドライトと大きなウィンカーレンズが特徴的な北米仕様ですが、当時は顧客のオーダーで北米以外の仕向け先でも北米仕様のライトに変更できたと聞きます。



W111というコードで知られる1960年代のSクラスメルセデスのボディ構造は、世界ではじめて衝突安全ボディで特許番号854 157を取得します。しかし安全な自動車が普及することを願ってダイムラー自ら自社の安全技術の根幹となる特許を解放します。



その後、世界中の自動車メーカーがこぞって採用することになる、ジグザグゲートのフロアAT、北米の古いAT車というとコラムATというイメージですが、オーナーの話によるとカブリオレの北米仕様はフロアシフトが好まれたようです。また本来は2.8Lモデルなのですが、車体重量とパワーのバランスでは3.5Lのほうが合っているようで、燃費もむしろトルクがある分3.5Lのほうが伸びるとのこと。

メルセデスは同じモデルでも、排気量のは大きめのグレードを選ばないと車格に対してアンダーパワーになる傾向があるようです。「さすが、ベンツまったく壊れませんし維持も簡単ですよ」というのですがはたして、真に受けていいのやら…



一応は「パレードあり」となっていますが、厳密には閉会後パレード形式で退場して解散という形でした。ほかのイベントのように開催時間中のプログラムに、公道パレードを組み込むというのはなかなか難しいのでしょう。閉会時間を過ぎたにもかかわらず、沿道の撮影スポットでカメラを構えている愛好家や、見物の方から見送られる形で家路につきました。

中部新国際空港近くゆえに「ワールドクラシックカー」と銘打つあたり、海外からの見学者も意識してるのでしょう。ゆくゆくは、愛知県から世界に日本の自動車文化を発信するようなイベントに成長してくれることを願っています。





ところで、帰りの知多半島道路のパーキングで休憩中にイベント帰りのBMWイゼッタに遭遇したのですが、車両区分上は小型自動車扱いで法的には高速道路を走行できるとはわかっていても、本当にイゼッタが高速道路を走っているのには驚きました。ちなみに300ccモデルでも100km/hくらいは出るそうです。たまたま通りかかった外国人観光客がオーナーに「Your Isetta?」と話しかけ、写真を撮っている姿が印象的でした。

ワールドクラシックカーフェスティバル in 常滑
https://wccfes.com

[ライター・カメラ/鈴木修一郎]

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