
ライフスタイル
更新2018.11.27
なぜスポーツカーは売れなくなり、スーパーカー市場は活気があるのか?

JUN MASUDA
実際のところフェラーリ、ランボルギーニといったブランドは販売を伸ばしている。「伸ばし続けている」といってもいい。
さらに、かつてスーパーカーというとフェラーリ、ランボルギーニといったところしか選択肢がなかったものの、今はマクラーレンやアストンマーティンもある。
つまりは、スーパーカー市場に新規参入組が増えたということになるが(アストンマーティンは老舗ではあるが、新体制になったという意味で「新規」に近いと考えている)、それでもフェラーリやランボルギーニの販売は好調だ。
もちろんマクラーレン、アストンマーティンといった新しく参入してきたブランドも急速に販売を伸ばしていて、つまり、スーパーカー市場は「既存、新規問わず全体的に拡大」している、ということになる(今のところ、ほぼ全員が“勝ち組”だ)。

参考までに、2017年通年での各ブランドにおける販売台数は下記の通りだ。
いずれのブランドも前年比で成長していることがわかるが、これはここ数年継続しているトレンドでもあり、スーパーカー市場は未だかつてないほどに成長している。
・マクラーレン:3,340台 (前年比+10%)
・ランボルギーニ:3,815台 (前年比+10%)
・アストンマーティン:5,117台 (前年比+58%)
・フェラーリ:8,398台 (前年比+4%)
一方のスポーツカー市場は縮小傾向にある
一方、スーパーカーではなく、「スポーツカー」だとどうだろうか。
世界的な販売台数について正確な数字を拾うのは難しいが、日本自動車販売連合協会の公開している日本国内における自動車の販売台数を見ると、スポーツカーの販売は壊滅的で、そもそもトヨタ86やスバルBRZ、マツダ・ロードスターといったスポーツカーはランク外となっており、数字すら拾うことができない。
それ以前に各自動車メーカーにおいてはスーパーカーすらラインアップされていないのが現在の状況であり、ホンダはもはや(軽自動車のS660を除くと)スポーツカーを持たない。トヨタにはMR2もスープラもなく、セリカもない。日産はかなり前にシルビアや180SXの生産を終了させている。
そしてマツダは、ロータリーエンジンを搭載するスポーツカーをラインアップから落としてしまった。これには環境への対応や、北米市場における保険料高騰などの理由があったのは間違いないが、そういった逆境に打ち勝てるだけの販売台数を維持できなかったのも事実だ。
そしてこういった現象は日本の自動車メーカーだけに見られるものではない。欧州や米国でも同じ状況だといえ、各メーカーともスポーツカーのラインアップを縮小させているのが現状だ。

新型トヨタ「スープラ」がBMWと共同にて開発されているというのは周知の事実であるが、これも「トヨタ、BMWとも単独で、それぞれのモデルを開発したのではモトがとれない」、といった判断だと思われる。スープラ、Z4を自社で独自に開発した場合、発売後に見込める販売台数で開発コストを「割って」みると、到底現実的な数字にはならない、ということだ。
だが、スポーツカーは、自動車メーカーにとって単に利益だけで語られるべきクルマではない。
そのメーカーのイメージや技術を象徴するものであって、やはり自動車メーカーには「なくてはならない」存在だとボクは考えている。そしてメーカー側も同じように考えるからこそ、トヨタやBMWは「なんとかスポーツカーを開発し、発売する方法」を考えるのだろう。それでももちろん十分な利益を確保できるとは言い難いとは思うが、トヨタとBMWは宣伝効果とコスト、そして利益をギリギリのところでバランス(妥協?)させたのかもしれない。
スポーツカーはほかのジャンルのクルマでも代替できるようになった
そこで「なぜスポーツカーが売れなくなったのか」だが、ボクは2つの理由があると考えている。ひとつは「スポーツカーでなくとも十分な運動性能を持ちうるようになったこと」、そしてもうひとつは「スポーツカーでなくともカッコいいスタイルを再現できるようになったこと」だ。
運動性能についてはもはや説明を要しないだろう。
たとえばBMW「M」やメルセデス「AMG」は、サルーンだろうがSUVだろうが、スポーツカー顔負けの加速性能を持つ。
もちろんサーキットを走ればピュアスポーツにかなわないかもしれないが、ほとんどの人はサーキットを走らないから、そんなことは気にしないだろう。なんといってもMやAMGは「踏めばガーンと加速する」のだから。

そして「スタイル」についても、サルーンやSUVというボディ形状であるにもかかわらず、純粋に「カッコいい」と感じるクルマが多数ある。昔のように、セダンだから「オッサンくさい」ということはない。
実際、メルセデス・ベンツCLSは美しいスタイルを持っていると思うし、トヨタC-HRはスポーツカー以上に躍動感を感じさせる。
ではなぜスーパースポーツは廃れなかったのか?
そこでスーパースポーツであるが、これはスポーツカーとは逆に成長分野だ。
なぜか?
その理由は簡単で、スポーツカーと逆の理由によるものだとボクは考えている。つまり、スーパーカーの性能は他ジャンルのクルマでは代替できないだろう。また、スーパーカーのデザインも他ジャンルのクルマでは代替できないからだ。
スーパーカーよりも速いSUVやサルーンは、いかに「M」「AMG」でも実現できない。
これは上で述べた「ほとんどの人はサーキットを走らない」のと矛盾するかもしれないが、スーパーカーの場合は普通のクルマではどうやっても超えることができない次元の速さを誇っており、これがオーナーの自尊心を満たすのだとも考えている。
ちょっとやそっとの速さであればそれほどの訴求力はないが、スーパーカーレベルの速さであればそれは十分消費者に対してアピールできる、ということだ。なんでも「突き抜ければ」それは他にない特徴だ。

もうひとつの「デザイン」についても説明を要しないだろう。どうやってもサルーンやSUVは、スーパーカー的なデザインを持ち得ない。
つまり、いまや「スポーツカーが持つ要素は他のクルマでも持ちうるが、スーパーカーの備える要件は他のクルマでは持ち得ない」ということであり、スーパーカーは「排他性を持つ」と言い換えることができる。他にない特徴や魅力を持つ商品は、いつの時代も「売れる」ということだ。
スポーツカーの生き残る道とは?
そこで最後に「どうすればスポーツカーの復権があるのか」ということだが、これまでの流れから答えは明白だ。
「他のクルマにはない、スポーツカーにしかない特徴を持つ」ことだ。
ただ、ボクはここで「AMGやMモデルを超える馬力」や「圧倒的な加速」「ぶっ飛んだスタイル」を持つ必要があると主張したいわけではない。もっとシンプルでもいいんじゃないかと考えている。
ひとつ好例を挙げると、日本でも発表されたばかりの「アルピーヌA110」だ。アルピーヌA110のエンジンは1.8リッターターボで、とりわけパワフルなわけではない。ただしたったひとつ、しかし他のクルマが絶対に持ち得ない特徴として「軽量性」がある。ミドシップで、車体重量1000キロ程度というのは非常に魅力的だ。これはどうやってもサルーンやSUVに真似できる芸当ではないし、そしてあの価格、さらにはメジャーメーカー(アルピーヌは現在ルノーの抱えるブランドの一つだ)が発売したという意味は大きい。
現代では上述のように、サルーンやSUVが「スポーツカー」としての要件を備えるようになったとも認識している。サルーンやSUVがスポーツカーの領域にへ入ってきていて、なおかつその境界線は年々曖昧になってきている。
しかしボクは思う。サルーンやSUVは「もっと快適に」「人がより多く乗れるように」「さらにたくさんモノが載るように」といった、”足し算”で成り立っているクルマではないか、と。反面、スポーツカーは本来「引き算」で考えられたクルマであったはずだ。

だからこそ、この時代スポーツカーは「足し算」ではなく「引き算」で勝負するべきだ。サルーンやSUVと同じ目線で開発されるべきではないし、そもそもユーザーにとってサルーンやSUVと同列に語られること、見られるようなことがあってはならない。
たくさん人が乗る必要もないし、ゴルフバッグも載らなくていい。ただ、運転していて楽しい。とにかく楽しい。
単にスポーツカーとはそういった存在であればいいとボクは考えているし、それと同時に、現代においてはそこしかスポーツカーの存在意義はない、とも考えている。
[ライター・撮影/JUN MASUDA]