
コラム
更新2019.06.22
ユダ会長とは「単なるクルマ好き」が高じてできあがった人間である。
ユダ会長
こういう依頼は初めてだ。
基本的に取材を受けることはあっても、自分で自分のことを書こうなんて思ったこともなかった。
基本的に自分は、「自動車業界では素人」的なイメージを先行させているから厄介だ。
世間が感じているイメージも想像がつかないし、気にしたこともない。
そんな自分がなぜカレントライフさんから記事の依頼が来るまでになったのか。
格段に特色のあるわけでもなく、「単なるクルマ好き」が高じてできあがった人間である。
簡単に自己紹介すると…

1.HCC95(ヒストリックカークラブ95)の会長
2.イベントプロモーター?(参加者や見学者をいかに楽しませるかをメインにしているので一切儲けを取らない)
3.Old-timer誌(八重洲出版)、デアゴスティーニ等の連載を持つライター業
4.普段はまったくクルマに関係のない仕事で生計をたてている
※「1.HCC95(ヒストリックカークラブ95)の会長」がそれ以降のすべてに関連してくるので、そこだけは説明しておこう
1995年 HCC95(ヒストリックカークラブ95)発足

ここに至るまでの過程は単純だ。
全校生徒6人で廃校になったほどの田舎に住んでいた中学生がニュースで見た「JCCAニューイヤーミーティング」。ここから物語がはじまる。
「世の中にこんなすごいクルマが走っているんだ!いつか見に行きたい!」
そんな思いを馳せたまま月日が流れ、24歳で上京したときに、当時横浜で行われていた「JCCAニューイヤーミーティング」を早速見に行くことにした。そのときの衝撃と高揚感は未だに忘れられない。
旧い車を「見る」から「乗りたい」に変わった瞬間だった。
上京した際、家にある家財道具といえば14型のテレビ一つしかない生活ではあったが、アルバイトでお金を貯め、オースチンヒーレーMk3を購入。早速、旧車のクラブに入会した。しかし、当時はとても情報が少なかったこともあり、余裕のある方々の趣味性が強かった。
そのため、オーナー(筆者)の目の前で平然と「このクルマは価値がないね」と指を指していわれたこともあり、明らかに若い人が育たない環境だった。せっかくできた仲間も「やっぱり自分にはこういうクルマ(旧車)は無理なんです」といい残して多くの人がクラブを辞めていく光景を目の当たりにしているうちに「それなら、俺みたいな人間でも楽しめるカークラブを作ってやろう!」と思いたったのだ。
若さゆえの勢いではあるが、そう思えたことが自分の人生も大きく変えたターニングポイントとなったように思う。
1995年の頃は、まだインターネットが普及していなかった時代。そのため、走っている旧車を見つけては追いかけ「一緒に走りません?」とナンパした。まだ携帯電話を持っている人が少なかったときだから、いわゆる「家電」で連絡を取り合った。やがて毎月第三金曜日の夜に集まる流れができあがった(現在は第一日曜日の午前中)。当時は「旧いクルマが5台も集まった!」なんて大興奮したものだ。
その結果、1995年にHCC95(ヒストリックカークラブ95)発足へとつながっていくことになるのだ。
憧れのニューイヤーミーティングへ出展

そして、HCC95が発足した年から、ニューイヤーミーティングにもクラブスタンドとして出展するようになった。
こうして「ニューイヤーミーティングを見に行く→乗る→参加する」へとステップアップを果たした。ついに憧れのイベントへ参加できるようになったのだ。
その後、19年間連続出展など繰り返しながら独自にイベントを開催できるようになった。
またクラブのコンセプトとして「自分たちでクルマを維持すること」を課題とした。
それから程なくして頑張ってガレージ付きの家を35年ローンで購入してコンセプトを実践するようになる。
誰かのクルマが壊れればウチに持ちこみ「このクルマはなぜ壊れたのか?」「なんの部品が必要なのか?」「どうやって修理すればいいのか?」などをレクチャーしながら集まってディスカッションしながら修理するようになった。
独自のイベント運営へ

今年も4月に行われた第15回「かわさき楽大師」では第1回からHCC95は自動車部門を担当して50台以上のクルマの展示を行っている。
クラブの会長として「イベントを運営する」がさらに加わったわけだ。
一見すると順風満帆な書き方だが、実際は一番問題になるのは人間関係だ。
それが原因で何度も辞めたいと思ったことは確かである。
しかし、ステップアップを繰り返すたびに、周囲にいる人たちのレベルも確実に上がっていく。そして楽しさも増していくのである。
憧れのガレージライフをスタート

現在、毎月第一土曜日に自宅のガレージに集まり、前オーナーが倉庫代わりに使っていたボロボロのFIAT500を譲り受け、仲間たちとレストアしている最中だ。溶接機などを使い、かなり本格的な作業を行っている。
まさに最高の趣味を味わえる空間を共有できる理想を手に入れただけでなく、「作ること」も加わったのかな。
どんなに辛いことがあっても、最高の仲間がいるから常に楽しく生きていけるし、「今が一番楽しい」と思える。そうやって「ユダ会長」というキャラクターが形成されていったのかもしれない。
そういえばこれはカレントライフ向けの自己紹介だった。
紹介文にはなっていないが、とりあえずそんな人間もいて独特の切り口で物事を捉えて記事を書いていくつもりだ。
そんな人物が、カレントライフ執筆陣のなかに1人くらいいても面白いのかもしれない。
[ライター・撮影/ユダ会長]