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カーゼニ

更新2018.11.12

出版社での下積み時代。絶望的な社内環境を経て今、若い世代の人に伝えたいこと

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伊達軍曹

過日。取材に赴くため、ここ10年ほどはほとんど使っていない首都高の某路線を愛機スバルXVにて走った。そして約10年ぶりに下りた某ランプから2分ほど走ると、懐かしい風景に出くわした。

わたしが13年前まで勤務していた、今ではつぶれてしまった五流出版社の跡地である。

わたしは五流出版社の社員だった




わたくしはホラッチョことショーンK氏のような経歴詐称はいっさい行っていないが、それでも、自分の都合が良くなるよう経歴の「編集」は若干行っている。

こういったサイトなどに掲載されるわたくしの経歴は「外資系消費財メーカー本社勤務→IMPORTカーセンサー編集デスクなど→フリーランスの編集者兼ライターとして活動中」というようなことになっている場合が多い。そこに嘘はひとつもない。

だがよくよく見てみれば、「IMPORTカーセンサー編集デスクなど」の「など」が大変に微妙だ。

この「など」の期間中わたしが何をやっていたかと言えば、世間的な聴こえがよろしい「リクルート社での編集デスク業務(ただしわたしは同社の従業員だったわけではない)」の前に、都内某所にあった五流出版社にて社員編集者をしていたのだ。

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誤字脱字と素人写真だらけの雑誌




本当にひどい出版社だった。いや、あれを「出版社」と呼んではいけないのではないかと、現在のわたくしは思う。

センスも正確性も何もない駄文的本文と、経費節約のため編集部員が自分で撮ったド素人写真を、これまた予算節約のため編集部員自らが素人レイアウトをしてページを作っていた。校閲者に文字校正を依頼している編集部など皆無だったため、どこもかしこも誤字脱字だらけだった。

そんな会社に、わたくしは9年間在籍した。

なぜ9年間もいたのか。「嫌なら辞めりゃいいだけじゃん」とおっしゃる方も多いだろう。

そのとおりではある。だが28歳というかなり微妙な年齢の「編集未経験の男」を採用してくれたのは、残念ながらその五流出版社だけだったのだ。

社内環境は最低最悪。だが勝手に「自主基準」を設けた




入社5秒後から社内でいきなりさまざまなダメっぷりを目にしたわたしは思わず失神しそうになったが、それでも肚を決めた。

「とにかく、ここで経験を積むしかない」と。

正確なところは実際にヒアリングしないとわからないが、わたしの目には、周囲の社員らは境遇に絶望し、あきらめ、そして虚無的になっているように見えた。

「こんな会社で頑張ったってなんにもならないんだから、テキトーにやればいいんだよ。給料も激安だしさ」

彼らの名誉のために言えば、ハッキリとそう言っている者は一人もいなかった。だがわたしの目には、そうとしか見えなかった。

だがわたしはわたしに、勝手な自主基準というかハードルを設けた。

「この原稿を、このページを、たとえばNAVI編集長(当時)のスズキさんに見せてもオレは恥ずかしくないか?」

今にして思えばかなり恥ずかしい話だが、当時のわたしは真剣にそう思いながら、まずは若手(でもないのだが)としての下働きを始めた。

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ダサい経営者のダサい意向を無視する日々




自分で勝手に設けたハードルがきわめて高く、そして口幅ったいことを言うようだが、わたしはまあまあ程度の能力は持ち合わせているため、あっという間に出世した。2年だか3年だかで編集長になった(もちろん、そんなド素人に編集長をやらせるのがそもそも五流の証なのだが)。

編集長となって数年が経過し、それなりに経験が積めてきた頃から、わたしはワンマン経営者が求めることをおおむね無視する作業を開始した。

「デザイナーなんかに頼むな! 編集者がMacを使って自分でデザインしろ!」

無視して、特集部分は専門の方に依頼させていただいた(予算不足により、遺憾ながら連載部分は編集部内でデザインしたが)。

「写真なんて誰でも撮れるだろ? むしろ企画意図をわかってる編集者のほうがいい写真を撮れるものなんだよ!」

無視して、低めのギャラでも頑張っていただけるプロフェッショナル数人に依頼した。もちろん前同の理由で自分でも撮影したため、無駄に写真術が上達してしまったが。

誤字脱字などまったく気にしない社風だったが、わたしの編集部では校正者の方に来ていただいた。

低予算ながら、他誌に負けない何かは打ち出せたはず




そういったことをしていると、そもそも「すべてD.I.Y.で」を前提としているきわめて少ない編集予算はソッコーで底をつくのだが、まぁなんとかやりくりした。

そして人間関係的にはいろいろあったが、わたくしがいた頃のその編集部は、四~五流出版社業界限定でいえば「精鋭」だったと思う。

皆が皆、「まあこんな会社だけど、少しでもいいモノを作りたいよね」というマインドと技術でもって業務を遂行してくれた。コンビニや書店の棚で「普通の出版社」が出しているマトモな雑誌の横に置かれてもなんら恥じるところのないページを、彼ら彼女らは作ってくれた。一部の読者にも確実に「届いた」という実感がある。

そしてそのような態度(というか自主基準)で仕事をしていれば、前時代的センスの持ち主である経営者と衝突するのは必至だった。

何度かの衝突があり、詳しくは忘れたが4回目か5回目の決定的なとある事件をもって、わたしは経営者に退職届を手渡した。

その会社は、聞くところによればわたくしが退職した1年後ぐらいに倒産したそうだ。

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どんな環境であれ、勝手に頑張ればきっとなんとかなる


ほとんどの人には何のご興味もない「自分史」のようなものをダラダラと話し、本当に申し訳ないと思っている。ただ、ここからが本題だ。

話は本稿の冒頭に戻る。わたしは過日10年ぶりぐらいに、約9年間通ったその五流出版社の跡地付近を走行した。

界隈の風景を見たわたくしは、はたして「ケッ! ざまあ見さらせ! クソ出版社がクソのように潰れたようだな! せいせいするぜ! うわっはっはっはっ!」的な心持ちになっただろうか?

まったくならなかった。ただただ、懐かしさでいっぱいになった。

もしもわたしが当時の絶望的な社風に流され、「編集とか原稿書きなんてテキトーでいいんだよ」という体で仕事をしていたならば、こうは思わなかっただろう。ただただ負の歴史的なものとして、その風景を見たはずだ。

だがわたくしは当時、言ってはなんだが自分なりのベストは尽くした自信がある。それゆえ、五流出版社の跡地界隈に対して特段の悪感情はわかないのだ。



「へ~、あれでベストかよwww」と嗤う者もいるかもしれない。そういったご意見には「力足らずで大変申し訳ございません」と答えるのみだが、とにかく、その時点での自分にできたことは、全部とは言わないが「ほぼ」やった。

その結果として、まぁ今でも五流のフリーライターではあるのだが、なんとか餓死することもなく、文字を書くことによってのみ生計を成り立たすことには、少なくとも成功している。当時は雲上人だったスズキ編集長に原稿をホメられることもある。ごくたまにだが。

ZOZOの前澤社長のような成功者ではないわたくしが、人様にアドバイスをするなどおこがましいことであるのはわかっている。だが現在、思うような理想的環境に身を置くことができず、苦悩し、もしかしたら精神的に腐りかけているかもしれない誰かに言いたい。とくに、比較的お若い方に。

「周囲の環境がどんなにひどいものであれ、そこはいっさい気にせず、自分ひとりで勝手に頑張れ。そうすりゃきっと、そのうちなんとかなる。たぶん」

以上である。

[ライター/伊達軍曹]

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