更新2026.02.26
プラレール号の記録簿 vol.23:初代プラレール号のこと
松村 透
初代プラレール号を手に入れていなければ、間違いなく現プラレール号(2代目)が手元になかったはず。もともとポルシェ911がを手に入れたいと思っていたとはいえ、まさか自分がナローポルシェの世界に足を踏み入れることになろうとは…。
■人生初の愛車は初代プラレール号という無茶ぶりを
あまりほかの人には話してこなかったのですが、人生初の愛車は24才のときに手に入れた、何を隠そう400万円で買った初代プラレール号こと1973年式ポルシェ911Sでした。つまり、ナローポルシェが人生初の愛車です。「どうせ親に買ってもらったんだろう」とか突っ込まれそうですが、そんなわけもなく、頭金100万円+残りは60回ローン&ボーナス払いなしの均等払いです。10代後半〜20代前半に周囲の友人がクルマを手に入れ、やがて新車を買いはじめるなか、こちらは手も足も出ない状態が続き……。そしてようやくクルマが買えるようになった反動で、長年の憧れでもあった911を手に入れてしまったわけです。これから起こる悲劇のことも知らずに。
■当初は86年あたりのカレラを買うつもりだった(それも無謀ですが)
昨今のような「空冷911」というだけで4ケタに到達するような異常事態ではなく、20数年前といえば200万円〜400万円台の予算でそこそこの選択肢があったのです。本当は964RSが欲しいけれど、安くても600万円台、程度の良い個体は1000万円弱という相場でとても手が出ず。自分の予算と、ポルシェシンクロを味わってみたいという想いから'86カレラあたりを考えていました。
しかし、なかなかタマ数がありません。当時から「程度の良い911は中古車市場から消えつつある」なんていわれていましたが、なんだかんだいってタマ数はそれなりにありました。それがいまや…。本当に市場から消えてしまいましたね。
共通の知人を介して紹介していただいた方がナローポルシェに精通していて、ちょうど売り物があるといわれたのが1969年式911Sと、初代プラレール号となる1973年式911Sだったのです。なぜ'73Sにしたのか?それはボディカラーです。初めて実車を見たのが夜で、蛍光灯の光に当たっている水色の'73Sに一目惚れしてしまったわけです。まさに衝動買いです。
■人生初のナローポルシェ体験
ひとまず試乗を…ということで、まずは助手席に乗り、ナローポルシェのフィーリングを初体験。「軽い」ということは強烈に覚えています。店主の方から「運転してみましょう」と促され、いきなりナローポルシェを運転する羽目に。しかも夜の都心。一応過去に930や964、993カレラの運転経験はあったものの、いきなりのナローポルシェ。アイドリングの状態でクラッチミートしなきゃ…左足をスルスル…ガクン。あっけなくエンストです。気を取り直してエンジンスタート。そのあとはどうだったのか…。緊張のあまりほとんど記憶がありませんが、クルマの善し悪しなんて判断できるような状態ではなく、クタクタになりながらお店に戻ったんだと思います。
そして、いざ商談。程度のことはよく分からないけれど、とにかく惚れ込んでしまったことは確か。後先考えずに契約してしまったのです。買えばなんとかなるだろうと。いや、実際にはならなかったんですけどね。
■納車して帰宅。「とんでもないものを買っちまった・・・」
諸手続を終えて、いよいよ納車の日。1人では間がもたないので、仕事帰りに幼なじみと合流して店に同行してもらいました。ここまで来たら後には戻れません。晴れて愛車となった(名義はローン会社ですが)プラレール号を運転して自宅まで帰らなければなりません。
いざ運転席に座ろうとしたとき、プラレール号がまっさらな新車ではなく「れっきとした旧車」であることを思い知らされます。シートの座面が破れていたことに気づいたのです。「これ直せるのかな」「いくら掛かるんだろうか……」。不安が頭をもたげます。夢にまでみたポルシェ911、そして記念すべき人生初の愛車の納車日がこのありさま。それはさておき、幼なじみを乗せて帰宅です。ショップから自宅までは50キロほどの道のり。まだ高速道路は怖くて乗れないので下道オンリーで帰りました。これははっきりと覚えているんですが、道が混んでいたこともあって1速と2速しか使わなかったんです。
左ハンドル&MT、そして繊細なクラッチミート。ちょっとのミスでエンストしかねないという恐怖に怯えながら帰宅したのは深夜。幼なじみを家まで送り、そのあと近所をしばらく走りまわりました。で、ここで気づくのです。「いまの自分には手に負えない、とんでもないものを買っちまった」と。オーナーインタビューをしていると、多くの方は納車の日は喜びの絶頂だといいます。自分はというと、これから先のことを考えると不安しかありませんでした。「買えばなんとかなる」。とんでもない。何ともならないことを思い知ったのです。
■乗らなきゃ壊れる。乗ったら壊す。どうすりゃいいの
とにもかくにも夢にまで見た911が自分の愛車となったのです。仕事が休みのときには自由に乗れる!かと思いきや、「壊れるかもしれない。壊すかもしれない」という恐怖の方が先立って乗ることができません。2.4L メカニカルポンプ、通称「メカポン」のエンジンが調子が良いのか、悪いのか、そもそも調子が良い状態すらもよく分からない。これはかなりのストレスでした。
これに追い打ちを掛けたのが保管場所問題。初代プラレール号は当時住んでいた自宅の駐車場に置いていたのですが、ガレージでもなければカーポートもない「雨ざらし」状態。知人から貸してもらったボディカバーを被せてはいたものの、雨が降れば雨水が浸透してボディが濡れているのが分かります。
ある日、プラレール号に乗ろうとボディカバーを外したところ、フロントフードの塗装にクラックが。時間が経つに連れてこれがみるみる大きくなっていくのが分かります。そうなのです。エンジンだけでなく、ボディのコンディションも気を使わなければならないと(遅まきながら)悟ったのです。あれほど憧れていた911が目の前にあるというのに、乗ろうと思えばいつでも乗れるのに、その存在がストレスになっていくのが自分でもハッキリと分かりました。
■小さな男の子に指をさされる。これが恥ずかしいのなんの・・・
プラレール号に乗っていたある日のこと。ママと2人で歩道を歩く小さな男の子がプラレール号の存在に気づき「あ、ポルシェだ」と指をさしてきました。その瞬間、なぜか「恥ずかしい」と思ってしまったのです。社会人としても半人前、何ができるわけでもない若造の自分がポルシェを転がすなんて分不相応だ(気づくのが遅すぎ)、もっとふさわしいだけの仕事ができるようになったらもう1度手に入れよう。もう限界。プラレール号を手放そうと決めた瞬間でした。
とはいえ、すぐに売れるようなクルマではありません。結局、プラレール号は個人売買で売却したのですが、元オーナーと語る方が見初めて、プラレール号を引き取ることなりました。いよいよ売却当日。キャリアカーに載せられ去って行くプラレール号。その姿が見えなくなった瞬間、正直肩の力を抜けたというか、ほっとしたことを覚えています。
■その後、何度も自分の前に現れたプラレール号
手放してから数年後、クルマを運転していたとき、前方に見覚えのあるナローポルシェが走っていました。必死に追い掛け、何とか追い付いたらやはり自分が乗っていたナローポルシェでした。ドライバーは元オーナーその人。私が所有していたときとは見違えるほどきれいになっていて、大切されていることがひと目で分かったのです。その後も偶然遭遇することが何度かあり、なかでも驚いたのは現プラレール号の主治医の工場に入庫している姿を見たときのことです。
信号待ちをしていたとき、ふと横を見ると工場のシャッターが開いていて、リフトにあのプラレール号が乗っていたのです。居ても立ってもいられず、アポなしで工場に足を踏み入れ、「昔これに乗っていたんです!」と必死に事情を説明してプラレール号を見せてもらいました。あのときのことを主治医と振りかえることがありましたが、いきなり知らない人が「昔これに乗っていたんです!」と押し掛けてきて、さすがに困ったようです。あのときはいきなり押し掛けて本当にすみません。
■初代プラレール号のその後の行方は・・・?
最後にプラレール号を見たのは12年ほど前のことです。あるクルマ屋さんで売りに出ているのを見つけ、実車を見せてもらいました。すでに空冷バブルがはじまっていたこともあり「2400万円です」といわれたときは絶句しました。しかも買い手がついているとのこと。このときすでに2代目プラレール号を手に入れており(レストア中)、良い意味で諦めがつきました。
「1度手放したクルマは2度と戻ってこない。そして、奇跡的に戻ってきたとしても、それは愛車そのものではなく別のクルマになってしまっている」と悟ったのはこのときです。
これ以降、プラレール号の姿を見ていません。風の噂では都内に棲息しているようですが、果たして、また会える機会はあるのでしょうか。



