更新2025.06.30
プラレール号の記録簿 vol.13:代わりになるクルマがない幸せと怖さについて
松村 透
ある程度年齢を重ねてきてしまい、そろそろ「アガリのクルマ」についてリアルに考えるようになった今日この頃。
「アガリのクルマ」って探そうと思って見つかるものではないですし、手元にあればあったで新たな悩みがあります。
■取材中の「代わりになるクルマがないんです!」発言は勢いか?それとも本気か
日々、さまざまなオーナーさんを取材していると「代わりになるクルマがないんです!」とおっしゃる方に出会うことがあります。
なかには「この人は本当に手放さないだろうな」と直感的に分かることもあります。
その反面「このクルマは一生モノです!」と宣言しても、半年後「別にクルマに乗り換えました!」とわざわざ連絡をくださる人もいたりして、本当に一生モノを貫けるオーナーさんは少数派なんだと思います。
世の中にこれだけたくさんのニューモデルがデビューし、過去のモデルが中古車として流通しています。
昔、憧れていたクルマがふと売りに出されていたので、勢いで乗り換えてしまった・・・なんてことがあってもまったく不思議ではありません。
取材から少し時間が経って、気が変わったとしても誰かに迷惑を掛けるわけでもありませんし。
なんたって「趣味の世界」なんですから。
特に最近の傾向として、これまで以上に「即断即決」が求められている気がします。
クルマを買うとき、特に新車の限定モデルや中古車などは「迷ったら終わり」で、あれこれと考えはじめて迷っているうちに他の人に「かっさらわれて」しまいます。
自分自身、これまで何度悔しい思いをしてきたことか・・・。
それこそ、その場の勢いで「買い換えてしまう」ことがあっても不思議ではないのです。
かつて自分もそうでした。
しかし、プラレール号が家にやってきてから、このマインドが変わりました。
手に入れてから10数年経ちますが「代わりになるクルマがないってこういうことなのか」といった心境を初めて実感しています。
・・・と当時に、欲しいクルマを探す熱量が収まった分「少なくとも現状維持し続けること」にもそれなりにエネルギーがいることを知ったのです。
■あくまでも感覚値だけど「女性の方が本気度が高い人が多い」気がする
オーナーインタビューの案件で取材していて常々思うのは「女性の方が本気度が高い人が多い」ということです。
「代わりになるクルマがないんです!」あるいは「このクルマ(個体)以外に考えられないです!」とおっしゃる方が多く、取材の場の雰囲気でついいっちゃった・・・ではなく「これはガチだな」といった、ある種の気迫めいたもの、本気度が伝わってきます。
これはあくまでも感覚値ではありますが、女性のほうが「このクルマがいい!」と思い定めたら、一切のブレがない方が多い気がするのです。
頻繁に壊れようと、部品が製造廃止で手に入らないとしても心が折れない。
むしろより愛着が深まったり、愛おしさすら感じるそうです。
つまり「とことん一途」です。
そういえば以前、保護猫の里親をやっているNPOの代表にこんな話を聞いたことがあります。
独身時代に猫を飼っていて、結婚することになった相手が「猫は苦手だから飼うのを止めて欲しい」といってきた場合、男性は猫を手放して女性を選び、女性の方は男性を捨て猫を選ぶ傾向にあるそうです。
独身男性に保護猫を譲渡しない理由として、この傾向が強いから、とのことでした。
これをクルマに置き換えると・・・男性は個人差がありそうですが、女性は猫のケースと同じような気がしています。
■車検のため里帰り中のプラレール号といったん距離ができたからこそ気づくこと
実はプラレール号、車検のため、今月から主治医のところに里帰り中です。
日々、スケジュールをやりくりして、2週間に1度のルーティン走行の時間を捻出する必要がなく、少しのんびりできるかな・・・と思いきや、今度は手元にない寂しさを感じる始末。
気づけば1ヶ月近くプラレール号の姿を見ていません。
いつもそばに置いてあるので「居るのがあたりまえ」になっていて気がつかなかったのですが、いざいなくなると寂しいものです。
これまで10数台のクルマを乗り継いできましたが、こんな心境になったのは初めてのこと。
これも物理的な距離があるから(といってもクルマで1時間も掛からない場所にあるのですが)こそ気づけたのだろうと感じています。
もし、いま乗っているクルマを手放そうか迷っていたら・・・。
少し離れたところに置いてみるか、友人のところに預けるなど、1度物理的に離れてみることをおすすめします。
普段気づかない、自分の本心を知ることができるはずです。
■プラレール号を手放してまで欲しいクルマが見つからない
いい機会なので「プラレール号を手放してまで欲しいクルマ」についても考えてみました。
現役当時から欲しいと思っていた964RSは、いまや走る動産状態に。とても現実的とはいえません。
加えて、現行型のタイプ992も現実的とはいえない価格(中古車でも!)。
さらに、定期的に欲しくなるマツダ ロードスター(ND型)はどうだろか・・・と思案してみたものの、プラレール号を手放してまで欲しいかというとそこまででもないらしい。
仮にプラレール号から乗り換えたとしても「このあいだまでここにプラレール号があったんだよな・・・」と女々しいことを考えそうで、NDロードスターに対して申し訳ないので却下。
そんなわけで、いくらカーセンサーをチェックしても、プラレール号を手放してまで欲しいクルマが見つからないことを改めて悟ってしまったのです。
これって20代の頃から思い描いてきたことなんですけど「プラレール号をずっと手元に置いておきたいってことが分かったならそれでいいじゃん」とは単純にいかないものなんですよね・・・。
■まとめ:代わりになるクルマがない幸せと怖さとは?
プラレール号を手に入れるまで「アレ欲しい、これ欲しい」と悩む必要がなくなればそれで平穏だと思っていました。
しかし、実際には違います。
手放したときの喪失感に対する怖さは常につきまとっています。
最大の問題は維持費です。
2年に1度の車検は決して安いものではありません。
今回もいくら掛かるのやら・・・。
ならばいっそ、ユーザー車検で通せばいいのですが、無事クリアしたとしても、クルマのコンディションと車検のクリアは別問題です。
ノーメンテで乗り続ければいつかしっぺ返しがきます。
家族を養い、家のローンを払いつつ、プラレール号に乗るにはどうすれば・・・。
結論としては、やはり今以上に稼ぐしかなさそうです。
働きますので仕事ください。
[ライター・撮影/松村透(株式会社キズナノート)]