
ドイツピックス
更新2017.04.13
キース・リチャーズの愛車「ベントレーS3コンチネンタル・フライングスパー」がオークションへ

NAO
「史上最高のリズム・ギタリスト」。その異名を取るのが、ローリング・ストーンズ結成当初からのメンバーであるキース・リチャーズです。
1962年イギリスでブライアン・ジョーンズ、イアン・スチュワート、ミック・ジャガーと共にロックバンド「ローリング・ストーンズ」を結成して以来ロックの世界を牽引してきました。ロックスターの生き字引のようなキースは、ギター、ドラック、女性をこよなく愛し、その人生を共に歩んできたのが彼の愛車のベントレーでした。ジャズ界の伝説シンガーであるレナ・ホーンから「ブルー・レナ」と名付けられた彼のS3コンチネンタル・フライングスパー。そのキースに愛されたブルー・レナがこの度イギリスのグットウッドで2015年9月12日に競売に出されることになりました。落札者はキースの豪華オプションが付いた想い出の品が手に入るということで競売前から大きな話題になっています。

そもそもフライングスパーが初めてベントレーのラインナップに加えられたのは、1957年のこと。1932年以来、ロールス・ロイスの傘下にあったベントレーは、ロールス・ロイス・シルバークラウドIの細部を変え双子車としてS1コンチネンタル・フライングスパーを販売。その後S2・S3シリーズと発展を繰り返し、1965年まで製造・販売され、2005年にはフォルクスワーゲングループになったベントレーから復活モデルとしても販売されました。
キースは1965年にロンドンにてS3コンチネンタル・フライングスパーを購入。元々6.2リッターV8エンジン搭載の豪華装備でしたが、彼はその後もさらに「ある」オプションを付けるために車を改造しました。それは秘密の引出し、と呼ばれるもの。これはキースや他のバンドメンバーが違法薬物を外部に見つからずに密輸するための隠しスペースを車に設置したものでした。
キースは2010年に出版した自叙伝でもブルー・レナについて語っています。「こいつと夜中に飛び出して旅をしたくなるような、そんな車だった。俺のダークブルーのベントレーS3コンチネンタル・フライングスパー。世界でたった87台しか作られなかったその一つが俺のモノだったんだ。こいつに乗っていることで何かとトラブルはつきものだった。俺がブルー・レナを走らせれば、ベントレーはお前のために生まれてきたんじゃない、反社会的なことをするなと批判されてばかりだった。なんせこいつは俺達のドラッグツアーにいつも付き合ってくれていたんだから。」麻薬常習犯であったキースは、バンドのメンバーや、のちに妻となった女優のアニタ・パレンバーグと共にドラッグ旅行に度々でかけていましたが、そのときみなを乗せていた相棒が「秘密の引出し」を持ったブルー・レナでした。
イギリスの高級車であるベントレーの名にふさわしくないことをするな、と多くの批判をうけながらも、相棒と呼んでいたブルー・レナでしたが、1978年キース自身によって売りに出されています。その後3度持ち主が変わり、5年の修復工事期間を経て、ついにオークションにかけられます。主催者側は売値として55万~83万ユーロあたりを予想していますが、一体いくらで落札されるのでしょうか。先日キースの元バンドメンバーであるビル・ワイマンも自身の愛車シトロエンSMを競売にかけ、予想を大幅に上回る金額で落札されたのを受け、ブルー・レナもどうなるかと見ものですが、キースの深い思い入れのあるこのベントレーはファンからしてみればいくら出しても手に入れたいお宝なのでしょう。
出典・参照元:http://www.auto-news.de/
[ライター/NAO]
1962年イギリスでブライアン・ジョーンズ、イアン・スチュワート、ミック・ジャガーと共にロックバンド「ローリング・ストーンズ」を結成して以来ロックの世界を牽引してきました。ロックスターの生き字引のようなキースは、ギター、ドラック、女性をこよなく愛し、その人生を共に歩んできたのが彼の愛車のベントレーでした。ジャズ界の伝説シンガーであるレナ・ホーンから「ブルー・レナ」と名付けられた彼のS3コンチネンタル・フライングスパー。そのキースに愛されたブルー・レナがこの度イギリスのグットウッドで2015年9月12日に競売に出されることになりました。落札者はキースの豪華オプションが付いた想い出の品が手に入るということで競売前から大きな話題になっています。

そもそもフライングスパーが初めてベントレーのラインナップに加えられたのは、1957年のこと。1932年以来、ロールス・ロイスの傘下にあったベントレーは、ロールス・ロイス・シルバークラウドIの細部を変え双子車としてS1コンチネンタル・フライングスパーを販売。その後S2・S3シリーズと発展を繰り返し、1965年まで製造・販売され、2005年にはフォルクスワーゲングループになったベントレーから復活モデルとしても販売されました。
キースは1965年にロンドンにてS3コンチネンタル・フライングスパーを購入。元々6.2リッターV8エンジン搭載の豪華装備でしたが、彼はその後もさらに「ある」オプションを付けるために車を改造しました。それは秘密の引出し、と呼ばれるもの。これはキースや他のバンドメンバーが違法薬物を外部に見つからずに密輸するための隠しスペースを車に設置したものでした。
キースは2010年に出版した自叙伝でもブルー・レナについて語っています。「こいつと夜中に飛び出して旅をしたくなるような、そんな車だった。俺のダークブルーのベントレーS3コンチネンタル・フライングスパー。世界でたった87台しか作られなかったその一つが俺のモノだったんだ。こいつに乗っていることで何かとトラブルはつきものだった。俺がブルー・レナを走らせれば、ベントレーはお前のために生まれてきたんじゃない、反社会的なことをするなと批判されてばかりだった。なんせこいつは俺達のドラッグツアーにいつも付き合ってくれていたんだから。」麻薬常習犯であったキースは、バンドのメンバーや、のちに妻となった女優のアニタ・パレンバーグと共にドラッグ旅行に度々でかけていましたが、そのときみなを乗せていた相棒が「秘密の引出し」を持ったブルー・レナでした。
イギリスの高級車であるベントレーの名にふさわしくないことをするな、と多くの批判をうけながらも、相棒と呼んでいたブルー・レナでしたが、1978年キース自身によって売りに出されています。その後3度持ち主が変わり、5年の修復工事期間を経て、ついにオークションにかけられます。主催者側は売値として55万~83万ユーロあたりを予想していますが、一体いくらで落札されるのでしょうか。先日キースの元バンドメンバーであるビル・ワイマンも自身の愛車シトロエンSMを競売にかけ、予想を大幅に上回る金額で落札されたのを受け、ブルー・レナもどうなるかと見ものですが、キースの深い思い入れのあるこのベントレーはファンからしてみればいくら出しても手に入れたいお宝なのでしょう。
出典・参照元:http://www.auto-news.de/
[ライター/NAO]