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更新2023.11.22

日本の自動車文化は、今まさに夜が明けようとしているのか?

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中込 健太郎

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このところ日本車メーカーが、レストアや絶版車のパーツの再生産に乗り出すというニュースが一斉にあちらこちらから舞い込んできました。



いいことだと思います。かなりの台数も作るようになり、車種も多いので生産終了から10年経つと、底をついた部品からメーカーのストックはなくなっていくものです。このことを問題視する意見も聞かないでもありませんが、日本のように狭い国土で、無尽蔵にいつどれだけ出ていくかわからないクルマの部品をストックしておくというのは現実的ではないと思います。

あるいはそのメーカーのクルマの値段を3倍にしますとかであれば、コストも捻出できるのかもしれませんが。それはさらに非現実的な話です。これらのニュースはそのくらいのことをするという意味と価値を持っているのだと思っています。

最近思うのは、日本においてようやく自動車文化が花開こうとしている。別のいい方をすれば夜が明けようとしている。そんなところではないでしょうか。

これまた「日本は自動車文化が遅れている」と眉間にしわを寄せていう人があります。海外の自動車はもともと富の証でした。だから必要かどうかではなく、ものすごいこだわりが盛り込まれるのです。性能で他の追随を許すようなことがあってはならないのです。「俺の馬車は馬なしだぜ、いいだろう。」が始まりで、やがて「あの教会の下まで競走だ」が自ずと発生していたに違いありません。そんなクルマですから、払える限りの贅沢を盛り込み、速いクルマを目指す。変ないい方ですが、「文化」を取ったら何が残るのか?そんなクルマさえあったに違いありません。



一方私たちの国の自動車は、戦後貧しい状況からみんなで作っていけるものとして自動車産業が起こったのです。クルマがちゃんとしていくのは、業界のレベルのバロメータであり、自分たちの暮らしの向上の進捗を示すのがクルマのクラスだったりするのでしょう。

全然土壌が違います。だからヨーロッパでは、と日本でいくらのどを枯らせて演説しても、そもそもその発想自体がこの国では無理があることなのだと思うのです。それでも、半世紀を数えるメーカーや車種がちらほらと増えてきて、今まで作ってきたクルマを振り返る瞬間があった、ということではないでしょうか。また技術の継承という面もあるかもしれません。

でも、それ以上に感じるのが、SNSなどの発達で、誰が何に乗っているというのが割と知れ渡ってきたこともあって「○○さんのクルマだ」と街で見かけて気づくことも増えたように感じます。それで街で声をかけられたリ、声をかけたり。クルマと人が寄り添ってきたなと思うのです。個人的にはこういうことの方がうれしいかもしれません。

文化とは「文化」と口にしなくなった時に初めて根付いたといえるのではないか。私はいつもそんな風に思っています。でも、もうすぐ清々しい美しい朝。日本でも素敵な自動車文化が根付き、成長していくのではないか。そうあってほしい。そんな風に思うわけです。

[ライター/中込健太郎]

(※当記事はメルマガ配信した記事の再編集版です)

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