コラム
更新2019.08.31
24年前にHCC95(ヒストリックカークラブ95)を立ち上げたからこそ得られたものとは?
ユダ会長
HCC95(ヒストリックカークラブ95)の始まり
著者が九州から横浜へ出てきたときは、まさに「何もない状態」であった。
部屋を借りる敷金もなく、1Kのレオパレスに14型テレビしか家具がないような状態だった。その後、アルバイトしながらなんとか冷蔵庫と洗濯機を手に入れた。そして、次に狙うは旧車。大きな難題に何度も翻弄されながらも突き進み、なんとか「オースチン・ヒーレーMk3」を購入することができた。
そこから現在に至るまでのすべての物語が始まったのかもしれない。
ちょうど「インターネット」というキーワードをようやく世間で耳にするようになった時代だった。この時期にたくさんのカークラブが世間に誕生していったように思う。
ある意味「カークラブの黎明期」だったのかもしれない。
しかし、当時は莫大なメンバーを擁しつつも、結局収集がつかなくなって姿を消したクラブも多かった。
HCC95は文字通り1995年の創立である。細々ながら、灯火を消すことなく、今日まで生き残れたのはインターネットをメインにしていなかったのが幸いしたのかもしれない。
ちなみに、HCC95は日本のカークラブでは最初にドメイン登録をしたと言われているが、当時からネットでメンバーを集めることには固執せず、実際に出会った人を中心に活動を行っていたのだ。
25年目に突入したカークラブ
そのHCC95も、いつのまにか立ち上げて四半世紀もの時間が経過していた。
その間、本当に色々な問題に直面し、挫折しかけたこともあった。
(会長が言う言葉にはふさわしくないとは思うが)「たかだかクルマの集まり」に、なぜここまでキツイ思いや苦しい経験をしなければならないのか?そう疑問に思ったことも多々あった。
それでも、なぜ今日まで続けてこられたのはなぜか?「カークラブ」として存続して以上、一人の独断で運営していくことは不可能に近い。ありきたりな答えかもしれないが、それはやはり支えてくれるメンバーのおかげであり、人に恵まれたからこそ続けてこられたのは間違いない。
何よりも素晴らしいと思うのは、クラブのメンバーが「常に楽しんでいるのが伝わってくる」ことだ。
イベントごとにクラブのメンバーがさまざまなアイデアを出し、率先して手伝ってくれる。筆者が手放しの状態でもクラブの運営がきちんと行われているのは、本当に恵まれていると思う。
HCC95をはじめた当初は「あんたらのやっているのは草クラブだ!」などと、ありがたい(?)ご指教もあったが、当時は若かったこともあり「俺があんたの年齢になったときには、もっと凄いことをやってやる!」なんて鼻息荒くしていた時期もあった。しかし、今となってはどうでも良いことだけれど(笑)。
HCC95の現在の活動
現在、HCC95は、
●月に1度のミーティングを1995年の1月から現在まで継続して開催
●毎年4月に川崎にて行われる「かわさき楽大師」へ第1回から出展&パレード
●お台場旧車天国等へ、HCC95として出展(毎年120台ほど)
…などをメインに活動している。
その他、筆者のガレージにメンバーが月イチで集まり、ボロボロのクルマを再生させたり、その他ツーリングやキャンプなどさまざまな活動も行っている。
メンバーは基本的に筆者よりも年上の方が多く、40代後半から50代を中心に、車種を問わず国産から英国、ドイツ、イタリア、フランス、アメリカ等、1950年代あたりの旧車から70年代後半までのスーパーカーを集めて活動している。
HCC95では一切会費を徴収していない。参加費の必要なイベントへの出展時やツーリングなどで掛かった費用を割る「明朗会計」だ。
さらに、筆者自身がHCC95で儲けようと考えたことがないため、これまで「カネの件」で揉めたことは1度もない。
HCC95立ち上げたこそ得られたものは?
筆者が九州から出てきたときは右も左も分からず、一人の友達もいなかった。しかし今では、イベント時はもちろん、街中や電車の車中でも声をかけられるようになった。
改めて振り返ってみると、得られたものは間違いなく「人と人との出会い」だと思う。
HCC95の活動を通じて、日常生活では知り合えなかった方々とも出会うことができた。
クラブ員はもちろんのこと、クルマを通して色々な方々とつながりを持つことができたのは、かけがえのない財産だと思う。結果として、筆者の人生経験を豊かなものにしてくれたことは確かだ。それは自分だけでなく、行動をともにしているメンバーにも通ずるところがあるはずだ。
最近、クルマは「移動手段がメイン」となりつつあるように思えてならない。
しかし、クルマを媒体として楽しんでいけるクラブとしてHCC95が今日まで存在できているのは、必要としてくれる人、大切な仲間がいるからなのだと感じている次第だ。
[ライター・撮影/ユダ会長]