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カーゼニ

更新2017.11.27

運転の楽しみ方が変わる?アイサイトVer.3、それは自動車界のベーシックインカムだ!

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伊達軍曹

「輸入中古車評論家」を自称する小生だが、なぜか知らねどこのたび国産車の、しかも新車を購入してこました。クルマの名は中島……じゃなかったSUBARUのXV 2.0i-Lというもので、それは過日の11月20日に無事納車と相成った。

納車となったからには「ぼくのXVかんそうぶん」をさっそく書きたいものだが、いかんせんまだ慣らし運転の真っ最中であるため、それを十分に書くことはできない。だが絶賛慣らし中であっても、その実力をほぼフルに確認できるのが、現行XVに搭載されている「アイサイトVer.3」。今回は、それについて思ったところを少々述べたい。

運転とは基本楽しいものだが、楽しくない局面だってある




結論から申し上げる。アイサイトVer.3が我々ドライバーにもたらすもの、それは「福音」であり「ルネサンス」だ。そして小生は「これこそ自動車界のベーシックインカムだ! 素晴らしい!!!」と大確信したのである。

だが、いきなり「アイサイトはベーシックインカムである!!!」と鼻の穴をフンフンさせたところで、お読みの人には何のことやらサッパリ意味不明であろう。……順を追ってご説明させていただく。

クルマの運転も、そして実人生の運営にまつわるさまざまな事柄も、大きく2つの局面に分けることができるはずだ。

「おもろいこと」と、「別におもろくはないんだけれど、やらなければマズいこと」の二種類である。

例えば運転の場合、もちろん人にもよるのだろうが、わざわざここCLを読みに来るような人の多くは、クルマの運転を「おもろい作業」と認識しているはず。無論、小生もそう認識している者の一人だ。



しかし「運転と名が付くモノならすべてがおもろい! 渋滞ですら恍惚!」などと認識するのは、筆者の友人であるマリオ高野くんという重度のクルマ変態ぐらいで、たいていの人は以下のようなニュアンスでそれを認識しているのではないか。

1. 空いていて、景色等もよろしい道を走らせる→おもろい
2. 交通量も景観等も中途半端な道を長距離、所要のために走らせる→つまらんとは言わないが、決しておもろくはない。最初おもろくても、途中で飽きたり眠くなったりする
3. ド渋滞→ドつまらん

カーマニアたるもの、可能であるなら上記「1」のシチュエーションでのみ、趣味として、純粋なるアート活動の一環として、クルマの操縦を行いたいものだ。

しかし人の生というのはなかなかそう甘くはない。

ところどころが渋滞している凡庸きわまりない高速道路を、所要のため100kmから500kmほど走らねばならぬ時が男にはあるし、女にだってあるだろう。またド渋滞とわかっていながら盆暮れの道々に突撃せねばならない責任も、家長にはある。

それはまるで人生そのものというか、「仕事そのもの」のようだ。

「好きな仕事」だけで生きていくのはなかなか難しい




小生はこのCLでの執筆を、ゼニを稼ぐための仕事であると同時に「おもろいこと」と認識し、自分で勝手に盛り上がりながら鼻の穴をフンフンさせて書いている(※お読みの人もおもろいと思ってくれているかどうかは甚だ謎ですが。すみません)。

しかし、誰でもそうだと思うが、仕事というのはおもろいモノばかりではない。

小生が日々行っている仕事のなかには「……心底つまらん。ていうか苦痛だ」と思いながら無記名で書いているものも、一部にはある。残念ながら。

「なら、そんな仕事は断わりゃいいじゃん?」と貴殿は言うかもしれないが、そうもいかないのである。なぜならば「100%好きなことだけを記名で書いて裕福に暮らしている著述家」というのは、日本人ではたぶん村上春樹だけで、たいていの著述家はそこまでではないからだ。

ましてや末端奴隷著述業者であるわたしなんぞは、好きなことのみを1つの筆名で書くことで生計を立てようと決意したならば、おそらくは5日で破滅するだろう。

だが、そこにもしも「ベーシックインカム」が登場したならば、果たしてわたしの仕事風景はどう変化するだろうか?

ベーシックインカムが導入されると人は働かなくなるのか?




賢明なるCL読者諸兄には説明するまでもなかろうが、ベーシックインカムとは「政府が国民の生活を最低限保障するため、年齢・性別等に関係なく一律で現金を給付する仕組み」のことだ。現在、本邦でもその導入がいちおう検討されている。ま、結局は導入されないような気がするし、されるとしても、その月々の金額がおいくらほどになるのかは見当も付かない。

だが仮に「月々30万円」が国民に支給されることになったとしよう。

月30万円では富裕な暮らしなど望むべくもない。しかし小生の場合で言えば、もともと質素な暮らしをしているので、その質素さにさらなるポート研磨を行えば、特に労働をせずとも長屋の店賃を払い、米や味噌、醤油および干物を買い、ごくたまに尾頭付きも買う程度の生活は送れるはず。

となったときに、「こいつはめでてえ! つーことでオイラは一生“酒修行”としゃれこもうじゃねえか。おい、かかあ、酒持ってこい! なけりゃ買ってこい!!!」なんつー日々を過ごすかというと、そんなこともない。おそらくは、金30万円を受け取りながらも現在の仕事に鋭意取り組むだろう。

しかしその際に、いちおう米味噌醤油代と長屋の店賃を払える程度のベーシックなインカムは保証されているため、「……心底つまらん。ていうか苦痛だ」と心が感じてしまう仕事は、後顧の憂い無く断ることができるわけである。そして「おもろい!」と思える案件のみを受注し、勝手に集中して、勝手にそれにフンフンと注力すれば良いことになる。

つまり、ベーシックインカムによって仕事は仕事であって仕事でなくなるというか、「ファインアートの領域」へと進化するのだ。ファインアートが言い過ぎだというのであれば、アール・ド・ヴィーヴル (Art de Vivre=暮らしの芸術)ぐらいでどうでしょうか?

……と、前置きがかなり長くなってしまい大変恐縮だが、これと同様の可能性を、わたしはアイサイトVer.3に見たのだ。

実は運転支援システムこそが古典文化を復興させる?




クルマの運転というのは(クルマ好きにとっては)大層おもろいものだ。しかし冒頭付近で申し上げたとおり「すべての運転局面」がおもろいわけでは決してない。場合によっては「……心底つまらん。ていうか苦痛だ」というシチュエーションも、クルマを運転していればしばしば訪れる。

そんなときに活躍するのがアイサイトVer.3だ。いやアイサイトに限らず、現状手に入れることができる「非常に出来の良い、半ば自動の運転支援システム」だ。



手動で運転してても全然おもろくない、というかむしろ苦痛な局面においては、アイサイトVer.3ないしは他の良システムに自車の運転をこれ代行させる(もちろんその監視を怠っては決してならないが)。これすなわち、ベーシックインカムの威力に基づき、つまらん苦痛仕事を断っちまうようなものである。

そしてそうこうするうちに道路状況は変わり、ドライバーの心情も変化する。

はるか前方に格好のRを描いている高速コーナーを視認し、冬の午後のステキな斜光が差してるなんつーこともあって、そこにドライバーは禅味と禅機を感じる。そして「……なんか、運転してえな。手動で」と独りごちる。

すると運転者はおもむろに右手元の半自動運転スイッチをOFFり、四輪の路面への食いつきと、内燃機関の、アンチエコではあれど麻薬的な快楽をもたらすビートをその一身に感じつつ、禅的な高速コーナーを、禅的に旋回する。半自動でも十分クリアできたはずのコーナーを、あえて手動で。

……これすなわち、自動車の運転というものが「移動のための作業」から「純粋運転」というアートへの昇格を果たした瞬間である。

しかしながら禅味や禅機というのは儚いもので、生まれたと思った次の瞬間には早くも消え去ったりする。この場合で言えば、無粋なLサイズミニバン多数から成るプチ渋滞などが始まることで、路上の禅味は失われる。

その場合はまたおもむろに右手元の半自動スイッチをONにし、世俗へと戻ればよい。しかしその「世俗」はこれまでの世俗とは大きく異り、非常に文明的だ。19世紀の奴隷労働者の働かされ方と、グーグル本社正社員の働き方ぐらいの違いが、そこにはある。

以上が、小生がアイサイトVer.3のことを「これは自動車界のベーシックインカムであり、運転愛好者にとってのルネサンス運動だ!」と感じた主な理由である。

……ここまで書いて、肝心の「アイサイトVer.3がどれほど便利なのか?」という具体的な記述がゼロであることに気づいたが、そこについては世の中のいろいろな人が、マジメで役立つことを既に書いてらっしゃるので、検索のうえ、そちらをお読みいただければ幸いである。すみません。

[ライター/伊達軍曹]