カーゼニ
更新2017.01.16
中古車をバンバン買おう。そして1台ごとに存在する「個性の違い」を味わおう
伊達軍曹
まぁ最近は長年の持病である貧乏の影響でマツダのNAロードスターにけっこう長いこと乗っているが、多少のあぶく銭が入るとすぐに買い替えたり、あるいは2台、3台と同時所有してしまう自分である。いや3台は嘘だ。張らなくてもいい見栄を張った。最大でも2台までしか同時所有した経験はない。
1台ごとに存在する「個性の違い」を味わいたい
それはさておき、クルマなんてものは(こんなことを言うと生真面目なカレントライフ読者から石が飛んできそうだが)基本的には大過なく稼働してくれればそれでよく、そして最近のクルマは中古品でもたいてい長きにわたり大過なく稼働してくれるので、本来的には1年やそこらで買い替える必要などない機械である。
そして買い替えの際に売買差益で儲かるならさておき、事実はその真逆だ。これは故・徳大寺御大がおっしゃったフレーズだと思うが「クルマというのは買っても売っても損をする」。中古車を買い替えるたびに、持病の貧乏は進行していく。
それなのになぜ性懲りもなく、そしてゼニもないのに、頻繁にクルマを買ってしまうのかといえば、「1モデルごとに確実に存在する“差異”を確認するのが、とにかく楽しくて仕方ないから」なのであろう。
そのことを教えてくれたのは、久々に飼うことになった猫だった。
重度のペットロスがほぼ完治。そして出会った元野良猫
子供の時分から猫を切らしたことのない自分だったが、都合18年間共に暮らした先代の家猫「びわ」が4年前に逝去した際、重度のいわゆるペットロスに罹患。その後の4年間、自分はいっさい外出することなく他人と口をきくこともなく、ただひたすら自宅で仏像を彫り続けた。や、嘘だ。そこまでひどくはない。しかしこの4年間、極力「猫」について考えないよう、見ないようにしていたのは事実だ。
町を歩くと、たいていそこらで野良猫や地域猫、あるいは近隣を警ら中の家猫などと遭遇するもので、そういった際に連れの者は「あ、ネコ! カワイイ~! ほらあそこ、軍曹クンも見て見て~!!!」などと言うのだが、自分はそちらをいっさい見なかった。北西に猫がいれば南東を向き、南西にいれば北東を向く。なぜならば、ひとたび猫を視界に入れてしまうとぶわっと涙があふれ出て、「なんか知らんけど往来で泣いてる不気味なおっさん」になってしまうからだ。
しかし時間というのはやはりなかなかの妙薬であり、近ごろは町で猫を見てもぶわっと泣くことはなくなった。たまにテレヴィジョンで『世界猫歩き』『被災地の猫たち』的な番組を観ると瞬間的にぶわっと涙が出るが、それもさほど頻繁なことではない。
「……機は熟した」と考えた自分は、とある捨て猫・野良猫譲渡会に赴き、1匹の元野良猫を譲り受けた。
それが現在、共に暮らしている現行の「ちゃぼ」3歳雌である。
ウンチのマナーひとつにも現れるそれぞれの個性
ちゃぼは、先代のびわとは何もかも違った。
や、三毛の雌猫っつー部分は同じであり、顔に毛が生えててヒゲがあって、足が4本あって……的な表層が同一であることは言うまでもないが、性格および生活態度がまるで異なるのである。
例えばウンチだ。……前回記事に続いてシモ関係の話で恐縮だが。
通常、猫がウンチをする際はそれ専用のトイレットにその身を進入させ、しばし砂をかいたのち、きばり、そして事後にまたカリカリカリとブツの上に砂をかける。
先代びわは「事前のカリカリカリ」に異常なまでに執心する猫だった。砂を完膚なきまでにかきわけ、もはや露わになっているプラスティックのトイレット底面をさらに1分ほどかき続け、そして満足すると、プラスティック底面に向けてブツを発射。……そんな猫はそれまで見たことがなかったが、事後のカリカリカリは至って淡白であった。時間にして15秒ほどだろうか、ある程度砂をかけて満足し、ひと仕事終えた顔でトイレットから出てくる。
しかし現行ちゃぼは真逆だ。
事前のカリカリカリはごくあっさりしたもので、ものの5秒か10秒ほどしかカリカリせず、すぐさま発射する。が、そこからが長い。手元のストップウォッチで計測し、ヒマなので平均カリカリ時間を割り出してみたところ、現行ちゃぼの事後カリカリは5分26秒であった。
……あーた、ウンチした後のトイレットを5分半もかき回してれば、ブツは砂の下に隠れるどころかより一層表層部へと浮き立ち、撹拌され、ときにトイレット外に飛び散るし、たまにブツをちゃぼの足が踏みつけ(ブツがへこんでいることでわかる)、その足で部屋のなかを歩くっつーのは、人として、いや猫だけど、どうなのよ? と真剣に説教する自分だが、人間語がわからないのかわたしのことをナメているのか、一向に聞く耳を持たないちゃぼである。
中古車をバンバン買おう。そして可能なら「多頭飼い」を
しかしそんなウンチ猫が、自分は愛しくてたまらない。先代びわはびわで今なお愛おしいが、現行ちゃぼのその「違い」が、なぜか自分の胸を打つのだ。1人ひとりが違うこと、いや猫だから1匹1匹が、それぞれ全然違うということ。その強烈な実感が、この宇宙の広さと、それと同時にある我々人間や猫やら犬やらの生のはかなさを、自分に伝えるのである。
……えーと、何の話でしたっけ? あ、中古車か。つまりですね、いろいろなタイプのクルマにバンバン乗って、いっこずつの「違い」をバンバン実感するのは楽しく、そして重要なことである、と。クルマ好き的に。で、新車でそれをやろうとすると富裕層にならないと無理なんですが、中古車ならば、普通人であってもそれができる。しかも、ちょっと昔のクルマのほうが(良くも悪くも)1モデルごとの個性が強いから、よりディープにそれぞれの違いが堪能できる、と。そういうことですわ。
……猫の話がしたかっただけかもなのしれません。すみません。
[ライター/伊達軍曹]