
車悦
更新2023.11.22
マセラティなアメ車「クライスラーTC バイ マセラティ」への憧憬
中込 健太郎
私のマセラティ430、設計はデ・トマソ傘下時代のもの。そして最初北米にわたった個体なので、ところどころアメリカ仕様になっていたりします。全体的にゆるい雰囲気もあってどこかアメ車を彷彿とさせるものがあり、そんなことから「アメ車もありだな」などと、このクルマを見ていて思うことがあるので不思議です。

しかし、そんな中で、看過できないクルマをしることになります。そのクルマこそ「クライスラーTC バイ マセラティ」です。エンジンをフォードから供給を受けていたデ・トマソと、その当時から関係があったリー・アイアコッカが移籍したクライスラーとの間でこのコラボレーションのアイデアは浮上したようです。

1986年にロサンゼルスモーターショーでプロトタイプが発表され、1989年に販売が開始されました。ダッジデイトナのプラットフォームを短くし、当初クライスラーKエンジンと3速ATが積まれ、1990年以降は三菱の6G72型エンジンと4速ATにグレードアップされます。500台限定でゲトラグ製5速MTとオリジナルチューニングの2.2リットルエンジンが組み合わせられたモデルも販売されたそうです。

この限定車のエンジンにはバルブカバーに「Maserati」の文字が入っていたころからマセラティエンジンと呼ばれたものの、マセラティの設計したエンジンが乗ったわけではない模様。マーレのピストン、IHI製ターボチャージャー、カムシャフトがクレーン・カムズなど、世界中から集められたパーツで作られていましたが、組み立て・仕上げはマセラティが担当していたのだそうです。
1989年から1991年の3年間に7300台が製造され、クライスラーの販売ネットワークの中で選ばれた300のディーラーで販売されたというこのクルマ。正当なマセラティの本流の流れをくむマセラティではないでしょうが、なんというか「わきの甘さ」が招いた出自。存在自体がネタのような「マセラティなアメ車」とても強く惹かれると思うのは私だけでしょうか。
[ライター/画像提供(マセラティ430):中込健太郎]

しかし、そんな中で、看過できないクルマをしることになります。そのクルマこそ「クライスラーTC バイ マセラティ」です。エンジンをフォードから供給を受けていたデ・トマソと、その当時から関係があったリー・アイアコッカが移籍したクライスラーとの間でこのコラボレーションのアイデアは浮上したようです。

1986年にロサンゼルスモーターショーでプロトタイプが発表され、1989年に販売が開始されました。ダッジデイトナのプラットフォームを短くし、当初クライスラーKエンジンと3速ATが積まれ、1990年以降は三菱の6G72型エンジンと4速ATにグレードアップされます。500台限定でゲトラグ製5速MTとオリジナルチューニングの2.2リットルエンジンが組み合わせられたモデルも販売されたそうです。

この限定車のエンジンにはバルブカバーに「Maserati」の文字が入っていたころからマセラティエンジンと呼ばれたものの、マセラティの設計したエンジンが乗ったわけではない模様。マーレのピストン、IHI製ターボチャージャー、カムシャフトがクレーン・カムズなど、世界中から集められたパーツで作られていましたが、組み立て・仕上げはマセラティが担当していたのだそうです。
1989年から1991年の3年間に7300台が製造され、クライスラーの販売ネットワークの中で選ばれた300のディーラーで販売されたというこのクルマ。正当なマセラティの本流の流れをくむマセラティではないでしょうが、なんというか「わきの甘さ」が招いた出自。存在自体がネタのような「マセラティなアメ車」とても強く惹かれると思うのは私だけでしょうか。
[ライター/画像提供(マセラティ430):中込健太郎]