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更新2017.06.28
「製造後30年を超えたクルマ」の祭典。第28回クラシックカーフェスティバル 国産車編

鈴木 修一郎
圧巻。クラシックカーによる壮大なパレード
トヨタ博物館クラシックカーフェスティバルの名物の一つは参加車両によるパレード走行です。当初は会場の外周を走るだけでしたが、10年ほど前からは長久手市内の公道を走行するようになり、100台以上のクラシックカーが連なって長久手市内を走行するのはこの時期の長久手市の風物詩となっています。
イベント流れとしては、8時に一旦モリコロパーク駐車場に集合し、9時から順次駐車場を出発、長久手市内を1周し10時からモリコロパーク大芝生会場の所定の位置に車両を止め11時から車両展示となります。

▲筆者のセリカLBにとってはレストア後初のイベント参加で、なんとゼッケンは100というキリの良い番号でした
今回からは「自動車の歴史の進展を追体験する」という趣旨で年式順に展示される事になったとの事で、筆者に100番が割り振られたのは偶然なのですが、新しい門出としてはなんとも縁起のいい数字です。

但し、今年はトヨタ2000GTとマツダコスモスポーツ50周年記念で、トヨタ2000GTとコスモスポーツから先にゼッケンが振られている形になります。登録されていないため駐車場内のみの走行ですが、布垣トヨタ博物館館長の運転するトヨタ2000GTボンドカーを先頭にパレードが始まります。

▲トヨタ2000GTが何台も連なって走る光景というのはなかなか見られるものではないでしょう

▲90番台の車両の車両の出発も始まり、ゼッケン100番の筆者もエンジンを始動し出発の準備を始めます

▲当日は汗ばむくらいの陽気でしたが、筆者のセリカLBはオプションの純正エアコン付きの快適仕様、ラジエターも容量アップ済なのでこれからの季節もオーバーヒート知らずでドライブできます

▲大勢の来場者に見送られながらパレードランが始まります

▲市内パレードの沿道はこの通り

長久手市の皆さんは毎年最高の笑顔を見せてくれます。手を振る人、カメラを向ける人、時には報道カメラマンがこっちにカメラを向けて、翌日の新聞を見たら、見出しに自分の愛車の写真が掲載されていた、夕方のニュース番組を見ていたら自分のクルマが映っていたなんてことも実際にある話です。
以前書きましたが、クラシックカーを維持するというのは並大抵の苦労ではありません。それだけにこの瞬間には何物にも代えがたい物があるのです。

▲市内を一周し会場に戻りこれから車両展示本番が始まります
クラシックカーイベントではどう演出して展示するかも楽しみの一つです。

▲今回筆者は、レストアの過程の写真をボードに張り、ナンバー隠し代わりに、カレントライフでもしばし話題になるドイツのHナンバー(H-Kennzeichen)をモチーフにシュトゥットガルト市登録を想定した架空のHナンバーを自作して付けてみました
ちなみにゼッケンが100なのに展示位置の番号が101なのは、途中ミスコースして入場の順番がズレたため。クラシックカーパレードではミスコースしたり、走行中に不調になってけん引されて会場に戻ってくるというのもご愛敬です。


▲この通り、クラシックカーはただ所有しているだけでも人気者になれてしまう。それもまた魅力の一つなのかもしれません
他の参加車両も名車ばかり、はたしてそのクルマとは

▲まずは1957年型トヨペットクラウンRS型、所謂「観音開きクラウン」です。まさしく戦後日本の経済発展の第一歩を象徴的する車両と言ってもいいでしょう

▲リアは当時のアメリカ車を彷彿とさせるフィンテールを採用、「フィンテール」は日本車に限らず世界中自動車目メーカーのカーデザインに影響をもたらし、1960年代初頭までの欧州車でもフィンテールを採用したデザインを目にします

▲センターピラーに腕木式方向指示器が付くのは初期型の観音開きクラウンのみの仕様です

▲日本のクラシックカーオーナーであれば一度は夢見るであろう1桁ナンバー
初代トヨペットクラウンに愛5ナンバー(名古屋ナンバー・三河ナンバーに分割される前は全て愛知県登録の車両は「愛」ナンバー管轄でした)が残っているというだけで別格の存在になります。
歴史的遺産として様々な恩典を受けられるHナンバーが導入されたドイツでも「昔のDIN規格サイズのナンバープレートが残ってる」という理由であえてHナンバーを取らないオーナーもいるというあたり、新車当時からのナンバープレートが引き継がれているというのは国を問わずクラシックカーオーナーにとっては特別な意味合いがあるのでしょう。

▲こちらは観音開きクラウンより1世代ほど後のS41D型プリンスグロリアスーパー6
昭和39年型ということで日産にプリンスが吸収合併される前のモデルです。エンジンフードを開けるとプリンス時代生産モデルの特徴である、金色のコーションプレートが輝いていました。またこのグロリアには2.5Lエンジン搭載モデルが存在し、その中でも特別仕様のロングホイールベース仕様は宮内庁に納入され、今上天皇陛下が皇太子時代に自らステアリングを握っていたという由緒あるクルマです。

ただ、当時の国産車としてはあまりに技術偏重主義でデザインも前衛的過ぎた事から、販売は著しくなくプリンスの経営不振の要素の一つになったと伝えられています。
とはいえ、その先進的技術は目を見張るものがあり、戦後初の直列6気筒エンジン(実はあまり知られてないですが戦前にして既にトヨダAA型が直列6気筒エンジンを採用しています)に日本初のオーバヘッドカムシャフトを採用、もしエンジンルームを見る機会があったら是非見ていただきたいのですが、フロントバルクヘッドを一部にザグリを入れてエンジンをギリギリまで後退させて(現在でいうフロントミッドシップに近いレイアウトです)直列6気筒エンジンによるノーズヘビーを解消しようとした努力の跡が垣間見れます。

▲過去のイベントで撮った写真ですが、この通り極力フロントオーバーハングに重量物を載せないレイアウトになっています
また、このグロリアに搭載されていたG7型エンジンを、ノーズを延長し搭載したスカイラインが第2回日本GPでポルシェ904と死闘を繰り広げたというのは皆さまも周知の話かと思います。
今回のメインでもある名車たちの中にはあのクルマも

▲今回のイベントの主賓同然と言ってもいい50周年のマツダコスモスポーツとトヨタ2000GT
国産クラシックカーの中ではスカイラインやフェアレディZと並んで断トツの人気を誇るクルマです。コスモスポーツは本家NSU社ですら敵わなかった、ローターハウジングの異常摩耗の問題を解決した日本車の技術史における記念碑と言っても良いと思います。

▲そして今回のメインのトヨタ2000GT。やはりどこのイベントでもトヨタ2000GTは特別な存在です

▲トヨタ2000GTはこのロングノーズがたまりません


▲エンジンルームや車内を見せてくれるなどオーナーもサービス精神旺盛な方ばかり
中には熱心に車内を覗いているとオーナー自ら「シートに座ってみないか」と声をかけるなど、トヨタ2000GTのオーナーにはかなり豪気な人が多いようにも思えます。


今回エントリーしていたトヨタ2000GTは3桁移行前の古いナンバープレートをつけた車両が多く見受けられました。今回はエントリーがありませんでしたが、新車当時の1桁ナンバーのままの車両も相当数残っているという話です。それだけ長く愛用してるオーナーが多いという証左でもあるのでしょう。
中には希望ナンバー制が導入される前の登録にもかかわらず2000番を取得してる車両もあり、それだけ熱心なオーナーが多い事がうかがい知れます。(一度だけ新車当時の一桁ナンバーで2000番を取得したトヨタ2000GTも見たことがあります)

▲今回唯一のオート三輪トラックのマツダT2000
今や、数々のスポーツモデルを送り出すプレミアムブランドとしての地位を確立したマツダが元々はオート三輪メーカーだったことを知る人も少ない事でしょう。筆者が子供の頃の1980年代までは名古屋でも極まれに、実際に実務に使用している事業者の車両を路上で見かける事もあったのですが、(但し、全国にはまだ実務で現役稼働している車両も僅かながら存在すると聞きます)もう今では、実際に走る姿を見るのはクラシックカーのイベントくらいになりました。
このイベントの特徴と参加資格とは?
トヨタ博物館のイベントの特徴としてイベントの参加資格が「製造後30年を超えた車両」というのがあります。クラシックカーの線引きは何処なのかで苦慮しているイベントは多く、中には参加可能な年式を引き上げることで、エントリーの選考が難しくなるという理由から参加可能な年式を変えないイベントもあります。しかしトヨタ博物館は「製造後30年」というルールにすることにより、個々の車両オーナーには狭き門となる一方で、ヤングタイマーへの門戸を開く道を選びました。
自動車の歴史は現在まで地続きであるという現館長の意向なのでしょう。これは、現在所有している車両が参加資格を満たしていない車両でも、このまま乗り続ければいずれは参加資格が与えられるということでもあり、極端な話をすれば、今年買った新車でも30年乗り続ければ必ず、ワンオーナー車のクラシックカーとしてこのイベントに迎え入れられる事が約束されているということでもあります。
ちなみに、筆者の亡父が乗っていたクルマは新車購入後、今年で製造後21年、ナンバープレートも新車当時の名古屋74ナンバーで、現在も母が買い物や通院に使っているのですが、9年後の2026年にはこのイベントの参加資格が得られ、めでたく筆者の自宅にあるクルマは全てトヨ博クラシックカーフェスティバルのエントリー資格が付与されることになります。(勿論2026年は亡父の形見のクルマでエントリーするつもりでいます)
今年の「ニューフェイス」のクラシックカーたち

▲もはや説明の必要はない「ハチロク」の異名を持つトヨタカローラレビンGT-APEX
「ハチロク」の某マンガ及びTVアニメの主人公の愛車としての活躍はトヨタの公式の説明文でも目にするほどです。むしろ、今どきの10~20代の若い人にはこちらの方がなじみのあるクラシックカーなのかもしれません。

▲車内にはオリジナルのステアリングが置かれ、シートも純正

▲ナンバープレートは「福井57」。外観もほとんどノーマル、完全に保存の対象になっているのでしょう

▲もはや説明の必要はない「パンダトレノ」

▲名古屋77ナンバーで純正アルミというのはもはや奇跡のようなコンディションと言っても良いと思います
「新型86」が登場したことで彼らはクラシックカーという名のエリシオンで余生を送ること事が約束されたことでしょう。

▲掠れた八王子55ナンバーが年季を物語るEP71型トヨタスターレットターボS
筆者には当時のキャッチコピーの「かっとびスターレット」のほうがしっくりきます。あのシュールなTVCMは今でも脳裏に焼き付いています。


▲とうとうGZ20型ソアラまで、殿堂入りの時代になっていまいました
この当時のソアラのマルチビジョンやデジタル表示のインパネは今の若い人たちにすれば、私たちでいうところのクロームメッキの装飾にフィンテールを装備し、光源感知式のハイロー切り替え装置の付いたライトや三角窓までパワーウィンドー化された往年の高級車のように見えるのでしょう。

▲赤黒ツートンの初期型スカイラインRS-ターボ

赤黒ツートンの初期型スカイラインRS-ターボはある一定の世代の人なら見ただけで脳内で「スカイラインフォーメンション」のBGMが再生されるのではないでしょうか?
S20型以来のツインカムエンジンにターボで「史上最強のスカイライン」と謳われながらも4気筒エンジンだったため「GTは6気筒エンジン搭載車の呼称」という不文律に則りGT-RどころかGTと名乗る事すら許されなかったと言われていますが、後のGT-R復活の布石になったのは間違いない存在だと思います。

▲会場でひときわ注目を集めていたS130型280ZX
Zフリークの方ならピンとくるのではないでしょうか?左留めワイパーにドアミラーに無骨な5マイルバンパー……このクルマはフェアレディZではなくダットサン280ZX、所謂「Z Car(ズィーカー」です。

280ZXは別名28 OZ(オンス)とも呼ばれていたと聞きます。DATSUN280ZXのオーナメントの下にBY NISSANのレタリングがあることが当時、北米市場においてダットサンブランドからニッサンブランドへ移行しようとしていた時期であることがうかがい知れます。(最も、ダットサンという長年かけて市場に馴染んだブランドを捨て去った事は、後にマーケティング上の失敗例として取り上げられることになるのですが……)この車両は新車当時から乗っていたカリフォルニアの女性から譲り受けたレディースワンオーナーという北米仕様のZ Carとしては申し分のない来歴を持つ個体です。

▲MX40型コロナマークⅡLG
筆者の個人的趣味ですが、MX40型コロナマークⅡLG、所謂「ブタメ」。と、いうのも筆者の幼少期の自宅のクルマがこのマークⅡの初期型のGLだったので今となっては、このマークⅡを見ると強烈な郷愁にかられます。

筆者の亡父のマークⅡは初期型でLGの下位グレードのGLでしたが、今でもこの内装を見ると幼少期、家族そろってどこかに出かけるときの高揚感と懐かしい記憶が蘇ってきます。
ちなみにこのマークⅡのオーナーは新車当時からのオーナーで、「奥さんに内緒で購入した」とのことで、筆者の亡父もまた「新居を購入して、出費がかさんでいるときに、母が新車(マークⅡ)の購入明細を見つけて喧嘩になった」と聞いているので何とも言えない奇縁を感じました。

▲今年から1987年製造の車のエントリーが認められたことで、伝説の日産パイクカーシリーズ第一弾「日産Be-1」がエントリーしていました

▲しかも、この個体のオーナーは新車当時からのレディースワンオーナーという、希少なヤングタイマー
特筆すべきはこのナンバープレート、新車当時からの二桁の「53」ナンバーで「・・・1」希望ナンバーが導入される10年以上前にBe-1に「・・・1」のナンバーを取得するあたりオーナーの情熱が伝わってきます。
ところで、今回興味深かったのが「ハチマル」「ヤングタイマー」と呼ばれる80年代の車両に当時のナンバープレートのまま残っている個体が多かったことでしょうか。特に筆者の友人との会話でもしばし「果たして名古屋77ナンバーのハチロクは現存しているのだろうか?」という事が話題になるのですが、ついに名古屋77ナンバーのフルオリジナルコンディションのハチロクの現車を確認できたというのはネス湖のネッシーでも見たような気分でした。次回は輸入車編に続きます。
[ライター/鈴木修一郎 撮影協力・写真/MS50クラウンオーナーズクラブ,赤倉久雄,鈴木修一郎]