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更新2021.05.30

「クルマの神様の導きがあると信じたい」そんな瞬間がきっとあるはず

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中込 健太郎

クルマの神様のお導き。私はそれに従うのが一番なのではないかと思っています。


幼少期から自分では「自動車大好き!」だと思ってきました。今でもそこそこ好きだと思いますし、人はあまり目を向けないクルマなんかにも興味があります。結果として「知っているクルマ」も人より多いかもしれません。けれども、自動車趣味の世界、周りを見れば、上には上がいると言いましょうか、自分などさほど人にアピールするような趣味でも知識量でもないなあ。取材に出かけたり、イベントに行ったりすると、そんなことを感じることばかりなのです。


しかしそれでも、少し暇があるとクルマのことを考えてしまったりして。クルマっていいものだなあ、とか、クルマがあったからこその恩恵だよなあという「クルマに関するお陰様」という気持ちになることも少なくありません。私はそんなクルマを通じて感謝なくしては語れないようなことがあると、それらは皆「クルマの神様」のおかげだと思うものです。今日はそんなお話しをしようと思います。


■クルマは機械。だからこそ愛おしいし、手がかかるもの



自動車は機械、私たち人間の暮らしを快適に助けてくれる省力化装置なのです。自動車趣味に比較的近いところに身を置くようにはなりましたが、どこか無機質な機械であるということは事実でしょう。けれども、それが趣味となり、どこか愛おしく感じてしまう理由の根底も、そんな無機質な事実にあるように思うのです。


毎日毎日、熱く照りつける日も、雨の日も風の日も、例えば重い荷物を持って上がらなければならないような坂道を快適に登ってくれたり。日頃私たちは「クルマがいるからできる楽」というのは計り知れないのではないでしょうか。そもそも、例えば都心から人の足で1日に移動できる距離など、その昔の東海道五十三次を思い出せば簡単ですが、多摩川を渡れたかどうか、せいぜい10キロか20キロと言ったところでしょう。しかし例えば、神奈川県在住の人と埼玉県在住の人が思い立って「ちょっと打ち合わせしない?夕方なら時間取れるよ」なんて言って都内のファミレスに集合できるなんていう生活は、クルマがあると割と簡単にできるものですよね。このコロナ禍、なかなかそういうのも機会は減りましたし、電車もあります。でも、いつでも、自分のペースで、自分だけの空間のまま移動できるというクルマ。こんな時代だからこそ見直されている面もあるようです。


そんな自分に寄り添ってくれる心強い道具は、やがて相棒となってどこかペットのような存在に。気がつくとどこか頼もしく愛おしい存在に。だからこそ、そろそろオイル交換しようか、とか、ちょっと気になることがあるとディーラーや、頼れるショップ・工場に持ち込み相談する。自分だけの一台に仕立てようとDIYでちょっとしたこだわりを表現してみたり、好みのカスタマイズをしてみる。これがクルマ趣味の源泉ではないでしょうか。一見冷たい機械ですが、そんなものを愛用していくうちに気持ちが入っていく。クルマは手がかかるというのは、そもそも信頼性やコンディション維持のためという以上に、人間の方で気持ちが入って手をかけてあげたくなるから、というのが実体ではないかと思うのです。


■多くを求めすぎず「感謝の気持ち」を忘れない



壊れたら修理はします、前述したように、機械ですので整備をするとそれなりに応えてくれます。しっかり動いてくれますし、動きもスムーズになったり、静かになったり。しかしながら、です。私はあまり多くを求めないようにもしています。例えばドアの軋み音が大きくなったら油は刺しますが。でもだからと言って一刻も早く治さないと!とかは思わないようにします。


いちいち神経質に交換していたりすると、もちろん費用もかかりますし、パーツ自体が探してもない、ということだって起こり得るというのもありますが、基本は「動けばオッケー!」「無事に走ってくれてありがとう!」この気持ちの方を常にクルマに対してもつということです。


でも、不具合はそのままにしておけば良いということではありません。でも走りに本質的な影響のない多少の不具合があったとしても、労りながらもクルマに対してはあまりダメ出しをしすぎないことにしているのです。これも、やはり根源には「クルマは機械だ」というのがあるかもしれません。


機械、カタチあるものはやがて壊れるものです。直せば直りますが、この事実は否定できるものではありませんね。だから「何かあるかもしれないなあ」とむしろ思っています。「いつもありがとうね!」という気持ち。ゆとりを持って、やさしい気持ちで。これがクルマに対する基本的なスタンスです。こんなことで、クルマの声が聞こえるようになると思っています。


■来たものを拒まない



よく「〇〇に乗るのが憧れ」と言って、その夢の実現のために生活のすべてを傾けている人もいますね。それも良いと思うのです。日々頑張っていける励みになるんでしたら大いにやるべきです。これ自体はまったく異論はないのですが、私は、これよりも「来たものは拒まない」ようにしています。つまり、自分の意思や好みとは別に、縁あって自分のところにやってきたクルマとの縁は大切にしたいということです。


今までで乗ったクルマで言うと、シトロエンBXやマセラティ430。シトロエンで言えば、憧れていたのはエグザンティアでしたし、マセラティなら、4ドアのモデル好きではありましたが、あの後に登場したクアトロポルテに憧れはありました。けれども、BXもクアトロポルテも、早すぎず遅すぎないタイミングで私のところに「乗ってみないか」と言う誘いが来て迎え入れたクルマでした。自分で憧れて手に入れたクルマとは違って、一緒に過ごしてみて初めて気づく魅力を知ることができました。身軽さ。キャブレターのクルマ特有の風情、最新のクルマにはない不便さと魅力。連続で高速道路を疾走すると煌びやかに軽くなるエンジン。こう言うのに触れた時、「クルマの神様が微笑んでくれた」と思ったりするものでした。


■クルマの神様は微笑んでくれる



乗るなんて思いもよらなかったクルマとの暮らしも、思いがけない発見もあります。またどんなクルマであっても無事にドライブを完遂することができ、事故もトラブルもなく到着したりできたことも、そんなクルマに関する出来事に「良かった!ありがとう!」と感謝していると、また次に思いがけないクルマや仲間との出会いや、奇跡かな?と思えるような出来事に遭遇できるかも。クルマは機械、だからこそあまり多くを求めず、ただ共に過ごせる時間を満喫し、感謝の気持ちと心のゆとりを忘れずにいると、時にクルマの神様は微笑んでくれるものなのではないか、そう思っています。


みなさんはこんな「クルマの神様ありがとう!」と思うようなエピソード、ありますか?


■最近筆者がクルマの神様の微笑みを感じた出会い



▲このアルファGTVに触れたのは真夏の日でした。湿度気温もさることながら、音・匂い、ギヤの感触。全てが夏の日を描いた風景そのもののようでした



▲最近シトロエンSMも触れる機会が多い一台。シトロエンの足腰、マセラティのエンジン。こんなに人格や、キャラクターを強く感じるクルマもありません。このクルマとの時間を過ごすと、何か「思し召し」を感じずにはいられません



▲古いクルマは子供達の注目の的。彼らの素直な心通う反応は、その度に新鮮な気づきを与えられるかのようです



▲ヴィニャーレのボディを纏ったFIAT850クーペ。奇抜ではないもののサイズを感じない優雅な雰囲気。ふと所用で訪れた関西地方の工場にて。思いがけないこんな出会いも「クルマの神様の微笑み」に違いない



▲ついひと月ほど前に出会ったS124、ちょっと一回り。国内には正規導入されなかった4マチックのターボディーゼルモデル。これ乗らずしてW124は語れない!元セダンのガソリン4マチックオーナーの筆者もそう感じた一台。こんな出会いも間違いなく「クルマの神様の微笑み」に違いない


[ライター・画像/中込健太郎]